万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

167.巻二・140:柿本朝臣人麻呂が妻依羅娘子、人麻呂と相別るる歌一首

巻二の相聞歌の最後です。 引用したのは下の本です。 140番歌 訳文 「そんなに思い悩まないでくれとあなたはおっしゃるけれど、今度お逢いできる日をいつと知って、恋い焦れないでいたらよいのでしょうか」 書き出し文 「な思ひと 君は言へども 逢はむ時 い…

166.巻二・138、139:石見相聞歌(131~139番歌)の二首

或本の歌一首併せて短歌: (或本:131番から133番歌に対する或本の歌、の意) 138番歌 訳文 「石見の海、この海には船を泊める浦がないので、よい浦がないと人は見もしよう、よい潟がないと人は見もしよう、が、たとえよい浦はなくとも、たとえよい潟はなく…

165.:巻二・135~137:石見相聞歌

135番歌 訳文 「石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。 その玉藻のように私に寄り添い寝た妻を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく這う蔦別れるように別れて来…

164.巻二・131~134:柿本朝臣人麻呂、石見国より妻を別れて上り来る時の歌併せて短歌

宮廷歌人としての柿本人麻呂ですが、私的な世界の相聞歌や挽歌を数多く残しています。 赴任先の岩見に残した妻への思いを歌った「石見相聞歌」は、131番歌~139番歌です。 今日は、その中で134番歌までを紹介します。 すでに、ブログ番号121、125、126、129…

163.巻二・130:長皇子、皇弟に与る御歌一首

引用は下の本です。 130番歌 訳文 「丹生(にふ)の川の川瀬を、私は渡りたくとも渡れずにいて、心は一途にはやり恋しくてなりません。あなた、さあ通(かよ)って来てください」 書き出し文 「丹生の川 瀬は渡らずて ゆくゆくと 恋(こひ)痛し我が背 いて…

162.巻二・129:大津皇子の宮の侍石川郎女、大伴宿禰奈麿に贈る歌一首 女郎、字を山田の女郎といふ。

題詞の続き「宿奈麻呂宿麿は大納言兼大将軍卿の第三子そ」 杉本氏の本を引用し、引用した図からブログを記載したいと思います。 129番歌は、杉本氏も述べているように一番最初の「石川郎女」ですね。 で、杉本氏の記載している四人の石川郎女と関係する人物…

161.巻二・126、127、128:石川郎女、大伴宿禰田主に贈る歌一首、返歌など二首

石川郎女の歌は、歌番の107、108、109、110でも紹介しています。 以下の図とともに。 下の本を引用して記載します。 「皇子二人に思いを寄せられ、人によっては彼女をめぐる恋の争いを大津皇子謀反事件の背景と考えるくらいですから、石川郎女はたいへんな美…

160.巻二・123、124、125:三方沙弥、園臣生羽が娘を娶りて、幾時も経ねば、病に臥して作る歌三首

下の本を引用して記載します。 「三方沙弥という男が園臣生羽という人の娘と結ばれた。沙弥は乙女を熱愛し、乙女も沙弥を恋い慕った。しかし沙弥はまもなく病気にかかり、若妻のもとを訪ねることができなくなった。彼は悲しんで妻に歌を送った。」 123番歌(…

159.巻二・119、120、121、120:弓削皇子、紀皇女を思(しの)ふ御歌四首

弓削皇子:天武天皇第六皇子。母は、天智天皇の娘大江皇女。 紀皇女:天武天皇の皇女。穂積皇子の同母妹。弓削皇子の異母妹。 119番歌 訳文 「吉野川の早瀬の流れのように、二人の仲も、ほんのしばらくのあいだも停滞することなくあってくれないものかなあ」…

158.巻二・117、118:舎人皇子の御歌一首と舎人娘子、和へ奉る歌一首

117番歌 訳文 「りっぱな男子たるものが片恋などしようかと思い、我が身を嘆くのだが、やはりふがいない男子は恋に苦しんでしまうのでしょうね」 書き出し文 「大丈夫(ますらお)や 片恋ひせむと 嘆けども 醜(しこ)の大丈夫なほ 恋ひにけり」 次作と贈答。 …

157.巻二・114、115、116:但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、穂積皇子を思ひて作らす歌一首とほかに二首

114番歌 訳文 「秋の田の穂の向きが揃って一つの方向になびいているように、ひたむきにあの方に寄りたい。噂がひどくても」 書き出し文 「秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも」 115番歌 題詞 「穂積皇子に勅して、近江…

156.巻二・111、112、113:吉野の宮に幸す時に、弓削皇子が額田王に贈与る歌一首と額田王の二首

111番歌 訳文 「古(いにしえ)を恋い慕う鳥なのでありましょうか。弓絃葉(ゆづるは)の御井の上を鳴きながら飛んで行きます」 書き出し文 「いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉の 御井の上より 鳴き渡り行く」 弓削皇子:天武天皇の皇子、母は天智天皇の娘の…

155.巻二・107~110:石川郎女をめぐる歌四首

犬養孝氏の萬葉百首上巻から引用して記載します。 なお、訳文は引用文にありますので、今回省略し、書き出し文と歌番号、犬養氏の番号、詠んだ方、そして、引用文などを記載します。 107番歌(22 山の雫)大津皇子 「あしひきの 山の雫に 妹待つと 吾(われ…

154.巻二・105、106:大津皇子、窃(ひそか)に伊勢神宮に下りて上り来る時に、大伯皇女の作らす歌二首

105番歌 訳文 「大和へもどっていくあなたを見送って、いつまでもいつまでも物思いにふけりながら佇んでいるうちに、夜はふけて、いつのまにか暁ちかくになり、草露にびっしょり私は濡れてしまった」 書き出し文 「わが背子を 大和へ遣(や)ると さ夜深(ふ…

153.巻二・103、104:天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首と藤原夫人の和へ奉る歌一首

天皇は天武天皇です。 下の本の「飛鳥の大雪」を引用します。 「・・・飛鳥に雪が降った。・・・」 103番歌 訳文 「我が里に大雪が降り積もった。(お前のいる)大原の古ぼけた里に降るのはまだ先のことだろうよ」 書き出し文 「我が里に 大雪降れり 大原の …

152.巻二・101、102:大伴宿禰、巨勢郎女を娉(つまど)ふ時の歌と巨勢郎女、報へ贈る歌

大伴宿禰:大伴安麻呂(壬申の乱の天武方の功臣)、旅人や坂上郎女(石川郎女との間の子:151.参照)の父。家持の祖父。和同七(714)年没。 巨勢郎女:近江朝の大納言巨勢臣人(壬申の乱に天智方で戦い、乱後、流された)の娘。安麻呂との間に宿奈麻呂、田…

151. 巻二・96~100:久米禅師、石川郎女を娉(よば)ふ時の歌五首

杉本氏の本を引用しました。 天智天皇の近江朝時代(667~671)につくられた歌です。石川郎女は、恋多き謎の女で、生没年も出自もわからないので、石川郎女の「謎」を解く鍵は、もちろん歌や題詞、左注にしかありません。つまり、彼女がどんな時に、どんな人…

150.巻二・95:内大臣藤原卿、采女安見児を娶る時に作る歌一首

藤原鎌足は、万葉集にこの歌と94番歌の二首を収めています。 杉本氏の本を引用します。 第2章の鏡王女の第5項中臣家の家刀自です。 「鏡王女は、中臣(藤原)家の家事を切り盛りする家刀自(いえとじ)としての生涯をまっとうしました。鎌足は彼女を大事に…

149.巻二・93、94:内大臣藤原卿、鏡王女を娉(よば)ふ時、鏡王女の内大臣に贈る歌一首と内大臣藤原卿、鏡王女に報へ贈る歌一首

杉本氏の下の本を引用しました。 第2章の鏡王女、その第4項の「わが名し惜しもーーー藤原鎌足との結婚」です。 「鏡王女にかかわりを持つもうひとりの大物は、中臣鎌子(614~669)・・・。いうまでもなく、中大兄皇子とともに曽我宗家を滅ぼし、二人三脚で…

148.巻二・91、92:天皇、鏡王女に賜ふ御歌一首と鏡王女、和へ奉る御歌一首

ブログの記載にあたり、犬養 孝氏の「わたしの萬葉百首 上巻」の「18樹の下がくり」を一読し、杉本苑子氏の「万葉の女性歌人たち」の第2章「鏡王女」を引用しました。われこそ益(ま)さめ 第2章の「中大兄皇子との恋」の第2項を引用します。 なお、第1…

147.巻二・89:或本の歌に日(い)はく

89番歌 訳文 「ここでじっと夜を明かしてあの方をお待ちしよう。この黒髪にたとえ霜は降(お)りようとも」 書き出し文 「居(ゐ)明かして 君を待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」 右の一首は、古歌集の中に出づ。 新潮日本古典集成 万葉集一を参…

146.巻二・86、87、88:磐姫皇后、天皇を思ひ作らす歌四首の第二から第四首

犬養氏の「わたしの萬葉百首 上巻」を引用して記載します。 この連作の第二番目(86番歌)は、 訳文 「こんなに恋続けてなんかいないで、いっそのこと出かけていって、途中で死んだってかまいはしない」 書き出し文 「かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐…

145・巻二・85・90:磐姫皇后、天皇を思ひ作らす歌四首:今回その第一首と90番歌です。

巻二:相聞 難波の高津の宮に天の下知らしめす天皇の代 大鷦鷯(おほさざきの)天皇、諡(おくりな)して仁徳天皇といふ (鷯と鷦、この字の返還に苦労しました) 85番歌 訳文 「あの方のお出ましは随分日数がたったのにまだお帰りにならない。山を踏みわけ…

144.巻一・84:寧楽の宮 長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にしてともに宴する歌

「寧楽の宮に天の下知らしめす天皇(すめらみこと)の代」と書かないのは、編者と同時代だからであると。(編者は万葉集の編者かな) 84番歌 訳文 「秋になったら、今ご覧のように、妻を恋うて雄鹿がしきりに鳴く山です。あの高野原の上は」 書き出し文 「秋…

143.巻一・81、82、83:和銅五年壬子の夏の四月に、長田王を伊勢の斎宮に遣わす時に、

山辺(やまのへ)の御井(みゐ)にして作る歌(三首) (御井は伊勢国か、所在未詳) 81番歌 訳文 「山辺の御井を見に来て、はからずも、内心見たいと思っていた伊勢おとめにも逢うことができた」 書き出し文 「山辺の 御井を見がてり 神風(かむかぜ)の 伊…

142.巻一・79、80:或本、藤原の京より寧楽に遷る時の歌

79番歌 訳文 「我が大君のお言葉を恐れ謹んで、なれ親しんだわが家をあとにし、泊瀬の川に舟を浮かべて私が行く川、その川の曲り角、次から次へと曲り角に行きあたるたびに、何度も振り返ってわが家の方を見ながら、進んで行くうちに日も暮れて、奈良の都の…

141.巻一・78:和同三年庚戌の春の二月に、藤原の宮より寧楽(なら)の宮に遷る時に、

御輿を長屋の原に停(とど)め、古郷(ふるさと)を廻望(かへりみ)て作る歌 (天理市南部。藤原・平城両京の東京極結ぶ道:中つ道の中間点付近。ここで旧都への手向儀礼が行われた) 一書には「太上天皇(おほすめらみこと)の御製」といふ (太上天皇は持…

140.巻一・76、77:和同元年戊申 天皇の御製と御名部皇女の和へ奉る御歌

76番歌 訳文 「勇士たちの鞆(とも)音が聞こえてくる。物部の大臣が楯を立てているらしいよ」 書き出し文 「ますらをの 鞆の音すなり 物部の 大臣(おほまへつきみ) 楯立つらしも」 天皇は元明天皇。即位の時に、石上、榎井二氏が楯を立てる慣習があった。…