万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

156.巻二・111、112、113:吉野の宮に幸す時に、弓削皇子が額田王に贈与る歌一首と額田王の二首

111番歌

訳文

「古(いにしえ)を恋い慕う鳥なのでありましょうか。弓絃葉(ゆづるは)の御井の上を鳴きながら飛んで行きます」

書き出し文

「いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉の 御井の上より 鳴き渡り行く」

弓削皇子天武天皇の皇子、母は天智天皇の娘の大江皇女。長皇子は同母兄。不遇な持統朝にあって、同地で前代の天武朝を思って詠んだものか。文武天皇三(699)年薨去。年三十前後。天武ー草壁ー文武という自分の血筋に執着し、諸皇子に激しく対した持統天皇の治世下で、人一倍不安と哀愁を感じて生きたらしい。

額田王も吉野を拠点とする壬申の乱によって開けた時代に不遇であった。都の額田王も同じ孤愁に暮れているのでは、と吉野の地から謎をかけた歌。

額田王、和へる歌一首、

112番歌

訳文「古を恋い慕う鳥はほととぎすなのですね。その鳥はおそらく鳴いたことでしょう。私が遠い昔を恋い慕っているように」

書き出し文

「いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が恋ふるごと」

皇子の謎に対する解釈を示して、その意に応じた歌。

らむ:「・・・ということであるが、さぞかしそうであろう」の意。

いにしへに恋ふらむ鳥:中国ではほととぎすを懐古の悲鳥と見る。(知らなかったな、ホトトギスを観たらどう感じるかな)

それに、吉野よりこけむす松が枝を取りて遺る時に(弓削皇子が枝に文を結んで送ったもの)、額田王が奉り入るる歌一首

(こけむす:古木に糸屑状に垂れさがるさるおがせとのこと)

113番歌

訳文

「み吉野の玉松の枝はなんてまあいいとしいことでしょう。あなたのお言葉を持って通って来るとは」

書き出し文

「み吉野の 玉松が枝は はしきかも 君が御言(みこと)を 持ちて通(かよ)はく」

松の枝を擬人化して喜びを託した歌。前の歌とともに額田王の最後の歌。歌は藤原遷都(694)以前と思われるとのこと。

下は、参考にした本です。

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弓削皇子に関する本はこの二冊かな。

では、今日はこの辺で。