万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

523.巻六・979:大伴坂上郎女の、姪(をひ)家持の佐保より西の宅(いへ)に環帰(かへ)るに与へたる歌一首

979番歌 訳文 「あなたが着ている衣は薄い。だから佐保の河辺を吹く風は、ひどく吹かないでほしい。家に帰りつくまでは」 読み下し文(これまで、書き下し文、書き出し文としていたものを読み下し文に統一します。以下の本を引用します。):本文(原文)を…

522.巻六・978:山上臣憶良、沈痾の時の歌一首

沈痾:病いに沈む、意。 今回引用した本です。 「それじゃ、もうひとつ山上憶良の歌をうたってみましょう。 「士(をのこ)やも 空しかるべき 萬代(よろずよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして」 山上憶良という人は大変苦労した人なんですよ、家柄はないけ…

521.巻六・976・977:五年葵酉に、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむそのいみきおゆまろ)が作る歌二首

五年:天平五(733) 草香山:生駒山の西の一部、東大阪市日下町付近の山地。 976番歌 訳文 「難波の海の干潟に残る潮だまりのさまをよく見ておこうよ。家にいる妻が帰りを待ち受けていてたずねた時に話してやるために」 書き下し文 「難波潟 潮干のなごり …

520.巻六・975:中納言安倍広庭卿が歌一首

975番歌 訳文 「こうして過す楽しさの故にこそ、短いはずの命だが、少しでも長かれと願うのです」 書き出し文 「かくしつつ あらくをよみぞ たまきはる 短き命を 長く欲(ほ)りする」 宴歌であろう。第一句の「かく」は宴歌をさすか。 たまきはる:命の枕詞…

519.巻六・973・974:天皇、酒を節度使の卿等に賜ふ御歌一首あわせて短歌

天皇:すめらみこと、四十五代聖武天皇。 973番歌 訳文 「わが治め給う国の遠く離れた政庁に、そなたたちがこうして出かけて行ったなら、私は心安らかに遊んでいられよう。ゆったり腕組みしておいでになれよう。天皇である私の尊い御手で、髪を撫でてねぎら…

518.巻六・971・972:四年壬申に、藤原宇合卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、高橋連虫麻呂が作る歌一首あわせて短歌

四年:天平四(732)年。 藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ):不比等の三男。式家の祖。 971番歌 訳文 「白雲の立つという、その龍田山の木々が冷たい霧で色づく時に、この山を越えて旅にお出かけのあなたは、幾重にも重なる山々を踏み分けて進…

517.巻六・969・970:三年辛羊に、大納言大伴卿、寧楽(なら)の家に在りて、故郷を思ふ歌二首

三年:天平三(731)年。この年秋七月二十五日、旅人は六十七歳で没した。以下病床での作。 故郷:明日香の古京。三十歳になるまで過ごした地。 969番歌 訳文 「ほんのちょっとでも出かけて行って見たいものだ。もしや神なび川の淵は浅くなってしまって、瀬…

516.巻六・967・968:大納言大伴卿が和ふる歌二首

前の965番と966番歌に和ふる歌です。 967番歌 訳文 「大和へ行く道すじの、吉備の児島を通る時には、筑紫娘子の児島のことが思い出されるであろうな」 書き出し文 「大和道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも」 「大和道」の語を承けて96…

515.巻六・965・966:冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に上る時に、娘子が作る歌二首

冬:天平二(730)年 大伴卿:大伴旅人 965番歌 訳文 「あなた様が並のお方であったら、別れを惜しんであれこれ思いのままに振舞いたいのですが、恐れ多いと思って、振りたい袖も振らないでじっとこらえている私なのです」 書き出し文 「おほならば かもかも…

514.巻六・963・964:冬の十一月に、大伴坂上郎女、帥の家を発ちて道に上り、

筑前(つくしのみちのくち)の国の宗像(むなかた)の郡(こほり)の名児の山を越ゆる時に作る歌一首 963番歌 訳文 「この名児山の名は、神代の昔、国造りをした大国主命と少彦名命がはじめて名付けられたのであろうが、心がなごむという、その名児山の名を…

513.巻六・962:天平二(730)年庚午に、勅して擢駿馬使大伴道足宿禰を遣はす時の歌一首

962番歌 訳文 「人里離れた奥山の岩に苔が生えて神々しいように、恐れ多くもこの私に歌をお求めになるのですね。歌らしい歌を思いつくはずもありませんのに」 書き出し文 「奥山の 岩に苔生し 畏くも 問ひたまふかも 思ひあへなくに」 葛井(ふじい)広成が…

512.巻六・957~961:冬の十一月に、大宰の官人等(たち)、香椎(かしひ)の廟(みや)を拝みまつること訖(をは)りて、

退り帰る時に、馬を香椎の浦に駐めて、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌。 957番歌:帥大伴卿が歌一首 訳文 「さあみんな、この香椎の干潟で、袖の濡れるのなどかまわずに、楽しく朝食(あさげ)の海藻を摘もう」 書き出し文 「いざ子ども 香椎の潟に…

511.巻六・956:帥大伴卿が和(こた)ふる歌一首

帥:大宰府の長官、従三位相当。 大伴卿:大伴旅人 956番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇のお治めになる国は、都のある大和もここ筑紫も変りはないと思っています」 書き出し文 「やすみしし 我が大君の 食(を)す国は 大和もここも 同じとぞ思…

510.巻六・955:大宰少弐石川朝臣足人が歌一首

510番歌 訳文 「奈良の都の大宮人たちが自分の家として住んでいる佐保山のあたりを懐かしんでいられますか、あなたは」 書き出し文 「さす竹の 大宮人の 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君」 大宰帥大伴旅人に問いかけた宴歌。 さす竹の:大宮人の枕詞 引用…

509.巻六・954:膳部王(かしはでのおほきみ)が歌一首

膳部王:長屋王の子。母は草壁皇子の娘、吉備内親王。神亀元年(724)、従四位下、六年二月、父に殉じて母、兄弟とともに自尽。 954番歌 訳文 「朝は海辺で餌を漁り、夕方になると大和の方へ山を越えて行く雁が、何とも羨ましくてならない」 書き出し文 「朝…

508.巻六・950~953:五年戊辰に、難波の宮に幸す時に作る歌四首

五年:神亀五(728)年、聖武天皇の行幸。 950番歌 訳文 「天皇が境界を定めておいでになるとて、山守を置いて見張らせているという山に、私はどうしても入らずにはおかないつもりだ」 書き出し文 「大君の 境ひたまふと 山守据ゑ 守(も)るといふ山に 入ら…

507.巻六・948・949:四年丁卯(ひのとう)の春の正月に、諸王・諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしむる時に作る歌一首あわせて短歌

散禁:刑罰として外出を禁じ、一所に閉じ込めること。 948番歌 訳文 「葛が一面に這い広がる春日の山は、春が来たとて、山の峡(かい)には霞がたなびき、高円では鶯が鳴いている。大勢の大宮人たちは、北へ帰る雁の来継ぐように毎日毎日、友と連れだって遊…

506.巻六・946・947:敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

946番歌 訳文 「淡路島にまともに向き合っている敏馬の浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、都に残したあの人を見たいとは思うけれど、なのりその名のように、わが名の立つのが惜しいの…