2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧
313番歌 訳文 「吉野の宮滝の白波よ、この白波のようにその昔を知らない私なのだが、人々が語り継いでくれたので、昔がゆかしく偲ばれる」 書き出し文 「み吉野の 滝の白波 知らねども 語りし継げば いにしへ思ほゆ」 吉野の宮滝に来て、人から伝え聞いた天…
312番歌の訳文と書き出し文は、下の引用文にあります。第四章「母の死」(1)天平の盛期の「難波京の造営」の項に。 今朝は夜半の雨もあがり暖かく、ただ、夕方から雪のようです。 明日は久しぶりの雪かきかな。 では、このへんで。
豊前(とよのみちのくち)の国:福岡県東部と大分県北部 311番歌 訳文 「こうして見なれた豊国の鏡山、この山を久しく見ないようになったら、きっと恋しく思うことだろう」 書き出し文 「梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも」 住み慣れた任地を…
東の市の樹を詠みて:平城京の東の市、樹は並木、詠みは与えられた題について詠ずる意。 310番歌 訳文 「東の市の並木の枝がこんなに垂れ下がるようになるまで、あなたに久しく逢っていないのだから、なるほどこんなに恋しくなるのももっともだ」 書き出し文…
紀伊の国の歌は、行幸歌ばかりでなく、旅行く者が耳にした伝説も歌われている。 たとえば、博通法師(伝未詳)という僧侶は、三穂(日高郡美浜町三尾)を訪れた時、その地に伝わる伝説を歌った三首です。 307番歌 訳文 「(はだすすき)久米の若子がいたとい…
安貴王:志貴皇子の孫、春日王の子。妻は紀女郎。 306番歌 訳文 「伊勢の海の沖の白波が花であったらよいのに。包んで持ち帰っていとしい子への土産にしようものを」 書き出し文 「伊勢の海の 沖つ白波 花にもが 包みて妹が 家(おへ)づとにせむ」 伊勢の海…
305番歌 訳文 「こんなことになるに違いないから見るのは嫌だというのに、近江の旧都をわけもなく見せて・・・」 書き出し文 「かく故に 見じと言ふものを 楽浪(ささなみ)の 旧(ふる)き都を 見せつつもとな」 近江の都跡に行くはめになった作者が、そこ…
303番歌 訳文 「名の素晴らしい印南(いなみ)の海、その沖波はるかに隠れてしまった。大和の連山は」 書き出し文 「名ぐはしき 印南の海の 沖つ波 千重(ちへ)に隠(かく)るぬ 大和島根は」 印南は現在の兵庫県明石市から加古川市にかけての一帯と言われ…
302番歌 訳文 「あの子の家までの道のりちょっと遠いが、夜空を渡る月と競争して月のあるうちに行き着けるだろうか」 書き出し文 「子らが家道(いへぢ) やや間遠(まどほ)きを ぬばまたの 夜渡る月に 競(きほ)ひあへむかも」 中納言安倍広庭卿:安倍御…
300番歌 訳文 「佐保すぎて奈良山の手向の神に奉る幣は妻に絶えず逢わせたまえと願ってのことだ」 書き出し文 「佐保過ぎて 奈良の手向に 置く幣は 妹を目離(か)れず 相見しめとそ」 高市皇子の子である長屋王が馬を奈良山に駐めて作った歌で、長屋王の佐…
299番歌 訳文 「奥山の菅(すげ)の葉が押し伏せて、せっかく降り積もった雪が消えてしまっては惜しかろう。雨よ降ってくれるな」 書き出し文 「奥山の 菅の葉しのぎ 降る雪の 消なば惜しけむ 雨な降りそね」 大納言大伴卿:はっきりしたことは言えないが、…
弁基:春日蔵首老が法師名、56番歌参照 298番歌 訳文 「真土山を夕方に越えて行き、廬前(いほさき)の隅田の川原に一人で寝ることよ」 書き出し文 「真土山 夕越え行きて 廬前の 角太川原に ひとりかも寝む」 真土山:巻一・55番歌に。大和国と紀伊国の国境…
田口益人大夫:たのくちのますひとのまへつきみ、和銅元(708)年従五位上で上野(かみつけ)守になる。 駿河の清美の崎:静岡県清水区興津清見寺町にある崎、かって、廬原に属していた。 三保の浦:清水港の辺りの湾入部の海岸で、三保の松原を望む海面であ…
角麻呂:伝不詳 292番歌 訳文 「その昔、天の探女(さぐめ)が乗って天降った岩船の泊った高津は、その面影もとどめぬほどに浅くなってしまった」 書き出し文 「ひさかたの 天の探女が 岩船の 泊(は)てし高津は あせにけるかも」 難波の高津に来て、神代の…
小田事(をだのつかふ):伝不詳 291番歌 訳文 「杉や檜が枝ぶりよく茂りたわむ背の山を、ゆっくりと賞美することもなく越えて来たので、山の木の葉は私の思いを知ったことであろう」 書き出し文 「真木の葉の しなふ背の山 しのはずて 我が越え行けば 木の…
間人宿禰大浦:伝不詳 初月(みかづき):新月 289番歌 訳文 「大空を振り仰いで見ると、三日月が、白木の真弓を張ったように空にかかっている。この分だと夜道はよいだろう」 書き出し文 「天の原 振り放(さ)け見れば 白真弓(しらまゆみ) 張りて懸けた…
穂積朝臣老:養老六(722)年、元正天皇を批判した罪で佐渡に流された。天平十二(740)年に刑を許され、同十六年大蔵大輔、天平勝宝元(749)年没。 288番歌 訳文 「私の命さえ無事であったら、ふたたび見ることもあろう。志賀の大津にうち寄せる白波を」 …
志賀:霊亀三(717)年九月、元正天皇の美濃行幸の時か。このときは往復とも近江を経由している。 石上卿:誰を指すのか不詳。卿は三位以上の称。 287番歌 訳文 「ここからだと私の家はどの方角にあたるだろう。白雲のたなびく山を越えて、はるばるとやって…
背の山:和歌山県伊都郡かつらぎ町、紀の川北岸の山、勢能山 285番歌 訳文 「口に出して呼んでみたい「妹」という名をこの背の山につけて、「妹」の山と呼んでみたらどうだろうか」 書き出し文 「栲領巾(たくひれ)の 懸けまく欲しき 妹の名を この背の山に…
284番歌 訳文 「焼津の辺りに私が行った時に、駿河の国の安倍の市への道で出会ったあの娘よ(今頃どうしているだろう)」 書き出し文 「焼津辺(やきづへ)に 我が行きしかば 駿河なる 安倍(あへ)の市道(いちぢ)に 逢ひし児らはも」 春日蔵首老の歌は先…
283番歌 訳文 「住吉の得名津(えなつ)に立って見わたすと、海原のかなたの武庫の港から今しも威勢よく漕ぎ出す船人が見える」 書き下し文 「住江の 得名津に立ちて 見わたせば 武庫の泊りゆ 出づる船人」 山上や海岸に立って遠くを見わたすというのは、国…
春日蔵首老(かすがくらびとおゆ):もとは僧、弁基。大宝元(701)年勅により還俗。 282番歌 訳文 「ここはまだ磐余の手前だ。この分では泊瀬(はつせ)山をいつ越えることができようか。はや夜は更けてしまったというのに」 書き下し文 「つのさはふ 磐余…
279番歌 訳文 「これでおまえにも猪名野は見せることができた。名次山(なすきやま)や角の松原も早く見せたいものだ」 書き下し文 「我妹子(わぎもこ)に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ」 自分のよく知っている美しい野や山海岸を妻に見せ…
少郎:少郎子、若い男子の意、末男 278番歌 訳文 「志賀(しか)島の海女は海藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、櫛箱の櫛を手に取ってみることさえもしはしない」 書き下し文 「志賀(しか)の海女は 藻(め)刈り塩焼き 暇(いとま)なみ 櫛笥(く…
270番歌 訳文 「旅にあってそぞろ家恋しく感じていたところ、山の下にいた朱塗りの船が沖を漕いで行くのが見える」 書き出し文 「旅にして もの恋しきに 山下の 赤(あけ)のそほ船 沖を漕ぐ見ゆ」 271番歌 訳文 「桜田の方へ鶴が鳴きながら飛んで行く。年魚…
安倍郎女:伝不詳、505、506番にも歌がある。 屋部:奈良県高市郡、生駒郡、磯城郡などに求める説があるとか。 269番歌 訳文 「人目を憚らなくてすむ時なら、私のこの袖で隠してあげたいのだけれど、この屋部の坂は、これからも赤茶けた色を見せ続けるのでし…