154.巻二・105、106:大津皇子、窃(ひそか)に伊勢神宮に下りて上り来る時に、大伯皇女の作らす歌二首
105番歌
訳文
「大和へもどっていくあなたを見送って、いつまでもいつまでも物思いにふけりながら佇んでいるうちに、夜はふけて、いつのまにか暁ちかくになり、草露にびっしょり私は濡れてしまった」
書き出し文
「わが背子を 大和へ遣(や)ると さ夜深(ふ)けて 暁露(あかときつゆ)に わが立ち濡れし」
106番歌
訳文
「手を取り合いながら行ってさえ、淋しくて容易に越えがたい秋の夜の山路を、いまごろあなたは、ひとりぼっちで、どのように越えていることだろうか」
書き出し文
「二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が 独り越ゆらむ」
杉本苑子氏は「万葉の女性歌人たち」の第5章の、「哀しく、うつくしいしらべ」の第1項で、大伯皇女(おおくのひめみこ)をとりあげるにあたっては、まず、彼女の歌二首を、何の先入観もなしに味わっていただくのが最良の方法と思いますと。
「何と切々とした哀しい、そして美しいしらべでしょう。いとしい者との別れがたい思い、行路への気づかい・・・彼女が相手を、どれだけ愛したかが痛いほどよくわかる相聞歌の傑作です。
独立した歌として味わっても素晴らしい二首ですが、題詞には、さらに興味をかきたてられずにいられません。
(大津皇子、窃かに伊勢の神宮に下りて上り来まし時の大伯皇女の作らす歌二首)
ここからは、大伯皇女がここで「背子」といい、「君」と呼んでいるのは弟の大津皇子であること(訳では、あえて「あなた」としてみました)、そして、歌の背景に何やら切迫したドラマが展開しているらしいことが読み取れます。
じつは万葉集に収められた大伯皇女の歌六首のすべては、大津皇子のことを詠んだものであり、その背景には今日「大津皇子事件」と呼ばれる皇位継承をめぐる悲劇がありました。この事件の真相を知るとき、そして大津皇子の悲しい運命を知るとき、いよいよその輝きと哀しみとを増してくる・・・。大伯皇女の歌はそんな歌でもある。」
犬養氏の「わたしの萬葉百首 上巻」でも20 暁露、21 二人行けどとして記載しています。これも一読して記載しました。
また、再読していた黒岩重吾氏の本は昨日読み終わりました。本の後半にもこの二首が記載されていて、伊勢での同母姉弟の記載は、タイムスリップして見てきたのではないかと思われます。何の先入観もなしではなく、この小説を読んで、歌を読むといよいよその輝きと哀しみが増してきます。
また、少し前に永井路子氏の下の小説を読んでいますので、大津皇子の正妃「山辺皇女」の哀しみと自ら大津の上に折り重なるようにして、縊り息絶えた情景が目に浮かぶようです。
神野氏の下の本を引用すると、
「・・・この二首の後には、石川郎女をめぐる歌が並び(107番歌~110番歌)、その一連が、朱鳥元(686)年の大津皇子の謀反事件にかかわる物語をつくるように配置されています。二首の題詞「窃かに伊勢神宮に下りて」は、あきらかに歌と事件とを関係づけているのであり、尋常でない伊勢下向として、事件にからめて受け取りつつ、その事件の重みを歌にまつわらせて読むことをもとめる」です。
では、今日はこの辺で。