万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

139.巻一・70~75:持統天皇、文武天皇の年月未詳の行幸時の歌

70番歌:太上天皇、吉野の宮に幸す時に、高市連黒人が作る歌 訳文 「大和には、今はもう来て鳴いているころであろうか。ここ吉野では、呼子鳥(よぶことり)が象(きさ)中山を、呼びかけるように鳴いて越えている」 書き出し文 「大和には 鳴きてか来(く)…

138. 巻一・66~69:太上天皇、難波の宮に幸す時の歌

持統天皇の難波行幸の記録はない、とのこと。 文武三(699)年正月、文武天皇に同行した際に詠まれたのではないか、と。 持統、文武の年月未詳の行幸時の作品を一括して、66番歌から75番歌まで載せたものと。 また、66番歌から69番歌まで、一まとまりの宴歌…

137.巻一・64、65:慶雲三年丙午、難波宮に幸せる時に、志貴皇子の作らす歌

64、65番歌は、この行幸時の歌。慶雲(きやううん)三年(706)丙午(へいご)、行幸は9月25日から10月12日のこと。 64番歌 訳文 「葦辺(あしへ)を行く鴨の翼に霜が降って、寒さが身に染みる夕暮れは、大和に残してきた妻がしのばれる」 「・・・水辺に大…

136.巻一・63:山上臣憶良、大唐(もろこし)に在る時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作る歌

前の62番歌の続きです。 訳文 「さ、皆さん、早く日本(やまと)へ (大伴の) 御津(みつ)の浜松が 我々の帰りを待ち恋うているでしょうから」 書き出し文 「いざ子ども 早く日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ」 下の本から引用します。 「摂津国の…

135.巻一・62:三野連(みののむらじ){名欠けたり}の入唐のする時に、春日蔵首老の作る歌

62番歌のあとの63番歌は、「山上臣憶良、大唐に在る時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作る歌」と題する歌です。遣唐使の出立の際の無事を祈った歌と、帰還の際の歌とを配しています。63番歌は次回記載したいと思います。 62番歌 訳文 「(ありねよし)対馬…

134.巻一・57~61:二年壬寅に、太上天皇、三河の国に幸す時の歌

行幸は、十月十日から十一月二十五日、この五首は行幸時の歌 57番歌 訳文 「引馬野に美しく色づく榛(はんのき)の原、そこに入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念に」 書き出し文 「引馬野(ひくまの)に にほう榛原(はりはら) 入り乱れ 衣にほはせ 旅のし…

133.巻一・54、55、56:大宝元年課の辛丑の秋の九月に、太上天皇、紀伊の国に幸す時の歌

54番歌 訳文 「巨勢山のつらつら椿の木をつらつら見ながら偲ぼうよ。椿の花咲く巨勢の春野のありさまを」 書き出し文 「巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春の」 右(↑)の一首は坂門人足。 55番歌 訳文 「紀伊の国の人は羨…

132.巻一・52、53:藤原の宮の御井の歌

52番歌 訳文 「あまねく天下を支配せられるわが大君、高く天上を照らし給う日の神の御子なる天皇、その天皇が藤井が原に宮殿を創建され、埴安の池の堤にしかと出て立ってご覧になると、この大和の青々とした香具山は、東面の御門に、いかのも春山らしく、茂…

131.巻一・51:明日香の宮より藤原宮に遷居(うつ)りし後に、志貴皇子の作らす歌

志貴皇子は、吉野盟約の六皇子の一人です。吉野盟約については、119.:巻一・27に記載しました。一読を。天智天皇の第七皇子で、壬申の乱以後は現実から逃避し隠者風に身を処したようです。奈良の白毫寺は皇子の別荘でした。2008年2月と2010年3月にお寺を訪…

130.巻一・50:藤原の宮の役民の作る歌

50番歌 訳文 「あまねく天下を支配せられるわが大君、高く天上を照らし給う日の神の御子なる天皇は、藤原の地で国をお治めるになろうと、宮殿をば高々とお造りになろうとお考えなる、そのご神慮のままに、天地の神も天皇に心服しているからこそ、早速近江の…

129.巻一・45~49:軽皇子、阿騎野の野に宿らせる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

45番歌 訳文 「(やすみしし) 我が大君、(高照らす)日の神の御子軽皇子は、神であるままに、神らしくふるまわれるとて、揺るぎなく営まれている都をあとに置いて、(こもりくの)泊瀬の山は、真木が茂り立つ荒い山道なのだが、岩や行く手をさえぎる木を押…

128.巻一・44:石上大臣(いそのかみのおほまへつきみ)、従駕(おほみとも)にして作る歌

44番歌 訳文「(我妹子を いざ)いざみの山が高いからか、大和が見えない。国を遠く離れてきたせいなのか」 書き出し文 「我妹子を いざみの山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも」 記載に当たり引用した本です。頁170、持統六年の伊勢行幸(三重) 壬申の…

127.巻一・43:当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)が妻(め)の作る歌

43番歌 訳文 「あのお方はどこを行っているのでしょう。(沖っ藻の)名張の山を今日越えているのでしょうか」 書き出し文 「吾背子(わがせこ)は いづく行(ゆ)くらむ 奥(おき)つ藻の 名張(なばり)の山を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ」 この歌を読む…

126.巻一・40、41、42:伊勢国に幸す時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂が作る歌

持統六年の初の伊勢行幸が行われた。農繁期なので三輪高市麻呂(壬申の乱の時の功臣)二度にわたる諫言を退け決行。都からの柿本人麻呂の三首は秀逸であるという。 訳文(前の歌意です、訳文を先にします) 伊勢国行幸の時に、都に留まった柿本人麻呂が作っ…

125.巻一・36、37、38、39:吉野宮に幸せる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

36番歌(長歌) 「やすみしし 吾(わ)が大君の 聞こし食(を)す 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心を 吉野の国の 花散(はなぢ)らふ 秋津の野辺に 宮柱(みやばしら) 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並(な)めて…

124.巻一・35:背の山を越ゆる時に、阿閉皇女(あへのひめみこ)の作らす歌

38番歌 「これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀伊道(きぢ)にありといふ 名に負ふ背の山」 <歌意> (これがまあ 大和で常々私が見たいと思っていた、紀州道にあるという有名な背の山なのか) (紀州路にあるとしてかねて大和で心ひかれていた背の山。こ…

123.巻一・34:紀伊の国に幸(いでま)す時、川島皇子の作らす歌

或いは「山上憶良作る」といふ 34番歌 「白波の 浜松が枝 手向けくさ 幾代(いくよ)までにか 年の経(へ)ぬらむ」一には「年は経にけむ」といふ 左注 「日本紀には「朱鳥(あかみとり)の四年庚虎の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ」 <歌意> (…

122.巻一・32、33:高市古人、近江の旧き都を感傷して作る歌 或書に云はく、高市連黒人なりといふ

32番歌 「古(いにしえ)の 人にわれあれや 楽浪(さきなみ)の 古き京(みやこ)を 見れば悲しき」 33番歌 「楽浪の 国つ御神(みかみ)の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも」 <歌意> 32番歌 (遠い昔の人でわたしはあるというのか、そうではないのに…

121.巻一・29、30、31:近江の荒れたる都に過る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

29番歌 「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知(ひじろ)の御代(みよ)ゆ(或る云ふ、「宮ゆ」) 生(あ)れましし 神のことごと つがの木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを(或は云ふ、「めしける」) 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え…

120.巻一・28:天皇の御製歌

28番歌「春過ぎて 夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の 衣干したり 天(あめ)の香具山(かぐやま)」 万葉仮名 「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」 <歌意> (春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの天の香具山にまっ白な衣が干してあるのを…

119.巻一・27:天皇、吉野の宮に幸(いでま)す時の御製歌

天武天皇が、吉野の宮滝付近にあった離宮 27番歌 「淑(よ)き人の 良しとよく見て 良しと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見」 <歌意> (昔の淑き人が、よいと所だと、よく見て、よいと言ったこの吉野を、よく見よ。今の良き人よ、よく見よ) 参考にした本…

118.巻一・25、26:天武天皇の御歌(25)と或本の歌(26)

巻一には、壬申の乱にかかわる天武天皇の吉野行きの歌が残っています。それが25番歌と26番歌です。 25番歌 「み吉野の 耳我(みみが)の峯に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間のなきがごと 隈(くま)もおち…

117.巻一・23、24:麻続王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷(かな)しびて作る歌と麻続王、これを聞きて感傷(かな)しびて和ふる歌

23番歌 「打ち麻を 麻続(をみ)の王(おおきみ) 海人(あま)なれや 伊良虞(いらご)の島の 玉藻(たまも)かります」 <歌意> (麻続の王は海人なのか、いや海人でもないのに伊良虞の島の藻を刈っていらっしゃる。おいたわしいことだ) 24番歌 「うつせ…

116.巻一・22:十市皇女、伊勢神宮の参赴(さゐで)ます時に、波多の横山の厳(いはほ)見て、吹芡刀自(ふふきのとじ)が作る歌

22番歌「河の上の ゆつ磐群(いわむら)に 草生(くさむ)さず 常にもがもな 常処女(とこをとめ)にて」 <歌意> (川の中の神聖な岩々は、草も生えず常にみずみずしいが、そのように、いついつまでも常処女でいたいものだ) 歌の解説は、犬養氏の本から引…

115.巻一・20、21:天皇、蒲生野に遊猟する時に、額田王の作る歌と皇太子の答ふる御歌

20番歌:天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時に、額田王の作る歌 「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 <歌意> ((あかねさす)紫野を行ったり、標野を行ったりして、野守は見ているではありませんか。あなたが私に向か…

114.巻一・19:井戸王の歌、額田王の近江遷都の歌(17番と18番歌)に即ち和(こた)ふる歌

19番歌 「綜麻形(へそかた)の 林の前(さき)の さ野榛(はり)の 衣(きぬ)に付くなす 目に付く我が背」 右(上)の一首の歌は、今案(かんが)ふるに、和ふる歌に似ず。ただし、旧本にこの次に載せたり。故以に猶し載せたり。 <歌意> (綜麻形の林、…

113.巻一・17、18:額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王(ゐのへのおほきみ)の即ち和(こた)ふる歌(19番歌)

17番歌 「味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隅(くま)い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)けむ山を 情(こころ)なく雲の 隠(かく)さふべしや」 18番歌(反歌) 「三輪山を し…

112.巻一・16:額田王の「春秋優劣判別歌」

天皇の詩宴における春山秋山の興趣の争いに判定をくだすものとして提示されたうた。このブログの65.で2013年8月31日に記載していますので、訪ねてきてください。 souenn32.hatenablog.jp 内大臣藤原朝臣は、藤原鎌足のことです。また、101.に万葉集と壬申…