万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

164.巻二・131~134:柿本朝臣人麻呂、石見国より妻を別れて上り来る時の歌併せて短歌

宮廷歌人としての柿本人麻呂ですが、私的な世界の相聞歌や挽歌を数多く残しています。

赴任先の岩見に残した妻への思いを歌った「石見相聞歌」は、131番歌~139番歌です。

今日は、その中で134番歌までを紹介します。

すでに、ブログ番号121、125、126、129で柿本人麻呂の歌を記載しました。

万葉集は下の本で「世界最古、最大の和歌集」と紹介されています。

いわば、世界一の歌人と言えます。

f:id:sikihuukei:20170828035923j:plain

上野誠氏も「歌の歴史、いや日本文学の歴史は、柿本人麻呂の以前・以後に分かれる。和歌の伝統は人麻呂がつくったのだ」と述べています。

f:id:sikihuukei:20170828040252j:plain

後代歌人への影響は大きく、「歌聖(うたひじり)」と尊称された。

で、今日の記載は、「石見相聞歌」の131番歌から134番歌です。

131番歌

訳文

「石見の海、その角の入り江を、よい浦がないと人は見もしよう、よい潟がないと人は見もしよう、が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい潟はないにしても、この海辺を目ざして、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝に吹き立つ風が寄ろう、夕に揺れ立つ波が寄ってくる。その風波のまにまに寄り伏し寄り伏しする玉藻のように添い寝た妻を、あとに残して来たので、この行く道のたくさんの曲がり角ごとに、幾度も振り返って見るけれど、いよいよ遠く妻の里は遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来た。夏草のようにしょんぼりして私を偲んでいるであろう、その妻の門を見よう。靡け、この山よ」

書き出し文

「石見の海 角の浦みを 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 一には「磯なしと」いふ 人こそ見らめ よしゐやし 浦はなくとも よしゐやし 潟は 一には「磯は」といふ なくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津の 荒磯(ありそ)の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 一には「はしきよし妹が手本(おと)を」といふ 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思い萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」

反歌二首

132番歌

訳文

「石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖を、妻は見てくれたであろうか」

書き出し文

「石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」

133番歌(犬養氏の本も一読:25子竹の葉は)

訳文

「笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋に妻を思う。別れて来てしまったので」

書き出し文

「笹の葉は み山もさやに さやげども 我れは妹思ふ 別れ来ぬれば」

或本の反歌に日はく

134番歌

訳文

「石見にある高角山の木の間から私が袖を振ったのを、妻は見たことであろうか」

書き出し文

「石見にある 高角山の 木の間ゆも 我が袖振るを 妹見けむかも」

参考にした本です。

f:id:sikihuukei:20170828050211j:plain

f:id:sikihuukei:20170828050242j:plain

f:id:sikihuukei:20170828050905j:plain

最初から読み始めたころは、半袖、今朝は長袖に。涼しくなりました。

では、今日はこの辺で。