2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
(八の一):長文ですの八分割しました。なお、歌ではないので、書き下し文は省略します。 沈痾自哀文:病いに沈み自ら悲しむ文。後の「俗道・・・」の漢詩文、「老身に・・・」の倭歌と三部作をなす。 訳文 「ひそかに思うに、朝夕山野で狩をして食べている…
好去好来:無事に行き無事に帰ることを祈る歌。 894番歌 訳文 「神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国は皇祖の神の御霊(みたま)の尊厳な国、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。このことは今の世の人も悉く目(ま)のあたり…
貧者と窮者の対話。貧窮に関する問答ともいう。 892番歌 訳文 「風に混じって雨の降る夜、その雨に混じって雪の降る夜は、寒くて仕方がないので、堅塩をかじったり糟汁をすすったりして、しきりに咳きこみ鼻をぐずぐず鳴らし、ろくすっぽありもしないひげを…
886~891番歌は、山上憶良が熊疑になりきって詠んだ歌です。 887番歌 訳文 「母上の顔を見ることもできないで、暗い暗い心のまま、私はいったいどちらを向いてお別れして行くというのか」 書き下し文 「たらちしの 母が目見ずて おほほしく いづち向きてか …
886番歌 訳文 「都に上るとていとしい母の手を離れ、見たこともない他国の奥へ奥へと、山また山を越えて通り過ぎ、いつになったら都に行けるかと思いながら、よるとさわるとそのことを話題にしたが、我が身が大儀で仕方がないので、道の曲がり角に、草を手折…
序の訳文 「大伴君熊疑は、肥後の国益城(ましき)の郡(こおり)の人である。年十八歳、天平三年の六月十七日に、相撲の部領使(ことりづかい)の国司官位姓名某(なにがし)の従者となり、奈良の都に向かった。しかし天運に恵まれず、苦しい旅道の半ばで病…
大伴君熊疑:次回記載予定の憶良作の序に説明があります。 大典:大宰府の文書を掌る官。826番歌参照。 麻田陽春:569~570番にも歌があります。 884番歌 訳文 「故郷を遠く離れた長い道中なのに、こんな所で、心も暗く今日この命を終えなければならないのか…
三島王:舎人皇子の子、淳仁天皇の弟。 追和:帰京した旅人から871~875番歌を披露されて和したものか。この歌で旅人中心的な姿勢を示す巻五前半が終わり、次歌から憶良中心的な後半となる。 883番歌 訳文 「噂に聞いて目にはまだ見たことがない。佐用姫が領…
敢えて:思い切って個人的な気持ちを述べる歌。「私懐」は、ここでは都への召還にたいする懇願をいう。 880番歌 訳文 「遠い田舎に五年も住みつづけて、私は都の風俗をすっかり忘れてしまった」 書き下し文 「天離(あまざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ…
書殿:図書や文書を置く座敷、ここは筑前国守憶良公館の座敷か 餞酒:ここは旅人送別の宴 倭歌:漢詩に対する日本の歌の意。天平初年には「倭」や「日本」を「大和」「和」と記した例はまだ見当たらない。 876番歌 訳文 「空を飛ぶ鳥ででもありたいものだ。…
最最後人:廻り持ちで詠まれた871~873番歌が最最後人に廻され、そこで閉じられる。「最最後人」は憶良と思われ、以下882番歌まで憶良の作と認められる。この部分に限って、題詞に歌の数が明記されている。 874番歌 訳文 「海原の沖を遠ざかって行く船に、戻…
最後人:旅人と見る説もあるが、前歌の「後人」とは別の某別人で、やはり大宰府官人であろう。 873番歌 訳文 「万代の後までも語りつづけよとて、この山の嶺で領巾(ひれ)を振ったものらしい。松浦佐用姫は」 書き下し文 「万代(よろづよ)に 語り継げとし…
後人:旅人をさすという説もあるが、別人であろう。大宰府の官人か。 872番歌 訳文 「後の世の人も山の名として言いつづけよというつもりで、佐用姫はこの山の上で領巾を振ったのであろうか」 書き下し文 「山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上(へ…
前文の訳文 「大伴佐堤比古郎子は、特に朝廷の命を受けて、御国の守り、任那に使いすることになった。船装いをして出発し、次第次第に青波の上を進んで行った。 ここに、妾(つま)の松浦佐用姫は、今忽ちにして別れ、いつまた逢えるかも知れぬことを深く嘆…
訳文 「憶良が、誠惶頓首(せいくわとんしゅ) 謹んで申し上げます。 憶良が聞くところでは、「漢土では、昔から王侯をはじめ郡県の長官たるものは、ともに法典の定めに従って管内を巡行し、その風俗を観察する」ということであります。 それにつけても、こ…
君を:和だけでは思いやまずに歌った一連の纏め。 866番歌 訳文 「遠く遥かに思いやられます。白雲が幾重にも隔てている筑紫の国は」 書き下し文 「はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重(ちへ)に隔てる 筑紫の国は」 867番歌 訳文 「あなたの旅は随分日数…