万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

505.巻六・942~945:唐荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

942番歌 訳文 「妻に逢えないまま、手枕も交さず、桜皮(かにわ)を巻いて作った船の舷(ふなばた)に櫂を通して漕いで来るうちに、淡路の野島も過ぎ、印南都麻(いなみつま)や唐荷の島の、島の間からわが家の方を見やると、そちらに見える青山のどのあたり…

504.巻六・938~941:山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

938番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇が、神として高々と宮殿をお造りになっている印南野の邑美(おうみ)の原の藤井の浦に、鮪(しび)を釣ろうとして海人の舟が入り乱れ、塩を焼こうとして人が大勢浜に出ている。浦がよいので釣をするのももっ…

503.巻六・935~937:三年丙寅の秋の九月の十五日に、播磨の国の印南野に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

聖武天皇の行幸の時の歌。 935番歌 訳文 「名寸隅(なきすみ)の舟着場から見える淡路島の松帆の浦に、朝凪には玉藻を刈ったり、夕凪には藻塩を焼いたりしている美しい海人の娘たちいるとは聞くが、その娘たちを見に行くてだてがないので、ますらおの雄々し…

502.巻六・933・934:山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

933番歌 訳文 「天地が永遠であるように、日月が長久であるように、難波の宮でわが天皇はとこしえに国をお治めになるらしい。御食(みけ)つ国の日ごとの貢物として、淡路の野島の海人たちが、沖の岩礁に潜って鰒玉(あわびたま)をたくさんに採り出し、舟を…

501.巻六・931・932:車持朝臣千年が作る歌一首あわせて短歌

931番歌 訳文 「浜辺が清らかなので、しなやかに生い茂っている玉藻に、朝凪にも千重に重なる波が寄せ、夕凪にも五百重(いおえ)に重なる波が寄せる。この岸の波がしきりに寄せるように、月ごと日ごとに見ても飽きるものか。まして今だけで見飽きることなど…

500.928~930:冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

冬:神亀二年(725)の十月。 難波:大阪城南方の台地、法円坂町付近にあった。 928番歌 訳文 「難波の国は葦垣に囲まれた古びた里に過ぎないと、長らく人々は心にもかけず、ゆかりもない地と見てきたが、天皇は長柄の宮に太く高い真木の柱をどっかと打ち立…

499.926・927

926番歌 訳文 「安らかに天下を支配されるわが天皇は、吉野の秋津の小野の、野の上には跡見(あとみ)を配置し、山には射目(いめ)を一面に設け、朝(あした)の狩に鹿や猪を追い立て、夕の狩に鳥を飛び立たせ、馬を並べて狩場にお出ましになる。春の草深い…

498.巻六・923~925:山部宿禰赤人が作る歌二首あわせて短歌(一首あわせて短歌の間違いではないかな)

923番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇が高々とお造りになった吉野の宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春のころは山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の…

497.巻六・920~922:神亀二年乙牛の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

920番歌 訳文 「み山全体をさやかに響かせてほとばしり落ちる吉野川の、川の瀬の清らかなありさまを見ると、上流では千鳥がしきりに鳴く。下流では河鹿が妻を呼ぶ。天皇にお仕えする大宮人もあちこちにいっぱい往き来しているので、見るたびにむしょうに心引…

496.巻六・917~919:神亀元年甲子の冬の十月の五日に、紀伊の国に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

724年の聖武天皇の行幸。 917番歌 訳文 「安らかに天下を支配されるわが天皇の、とこしえに変わらぬ離宮としてお仕え申し上げている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかな渚に、風が吹くたびに爽快な白波が立ち騒ぎ、潮が引くたびに…

495.巻六・913~916:車持朝臣千年が作る歌一首あわせて短歌

913番歌 訳文 「むしょうに心引かれつつ、噂にばかり聞いていた吉野の、真木の茂り立つ山の上から見下ろすと、川の瀬川の瀬に、夜が明けそめると朝霧が立ちのぼり、夕方になると河鹿が鳴く、それにつけても、あの方を都に残した旅先のこと故、私独りで清らか…

494.巻六・907~912:養老七年癸亥の夏の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌(二の二)

反歌 908番歌 訳文 「毎年毎年こうして見たいものだ。ここ吉野の清らかな河内の渦巻き流れる白波を」 書き出し文 「年のはに かくも見てしか み吉野の 清き河内の たぎつ白波」 909番歌 訳文 「山が高いので、白木綿花(しらゆうばな)となってほとばしり落…

493.巻六・907~912:養老七年癸亥の夏の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌(二の一)

万葉集 巻第六 雑歌(公的な場で披露されたさまざまな歌をいう) 二の一 元正天皇の行幸で、奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮に。 907番歌 訳文 「滝の上の三船の山に生き生きとした枝をさしのべて生い茂っている栂(とが)の木、 そのとがという名のように…

492.巻五・904~906:男子名は古日に恋ふる歌三首 長一首 短二首

男子名:署名はないが、憶良帰京後の作と認められている。ただし、巻五に本来あった歌ではなく、後人が追補したものらしい。 古日:長歌に幼い「我が子古日」と歌われているが、七十を超えた憶良の子にしては年少にすぎる。幼児を失った知人になりきって詠ん…

491.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の二)

反歌 898番歌 訳文 「気の紛れることはいっこうになくて、雲の彼方に隠れて鳴いて行く鳥のように、泣けて泣けて仕方がない」 書き出し文 「慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ」 長歌の末尾を承けて、やや細かく述べている。 899番歌 訳…

490.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の一)

897番歌 訳文 「この世に生きてある限りは<仏典には人間界に住む人の寿命は百二十年だという>無事平穏でありたいのに、障碍(しょうがい)も不幸もなく過ごしたいのに、世の中の憂鬱で辛いことには、ひどく重い馬荷に上荷をどさりと重ね載せるという諺のよ…

489.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の五)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の五)の訳文 「現世の生死の変転は目ばたくほどの短さであるし、人間の一生の生活は臂(ひじ)を伸ばすほどの短さである。まさに浮雲とともに空しく大空を漂う思いで、心も力も…

488.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の四)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の四)の訳文 「仏典には「黒闇天女が後から追いすがることを嫌うなら、功徳大天の先立って訪れることを受け入れぬがよい」とある<徳天は生をいい、黒闇は死をいう>。 かくし…

487.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の三)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の三)の訳文 「先の代の聖人もとっくに死んだし、後に続いた賢人もまた留まってはいない。もし金を出して死から逃れうるならば、古人の誰しもがそのための金を用意しただろう。…

486.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)

俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)の訳文 「ただし、この世には恒久不変の本質をもつものはない、だから丘が谷になったりする。また人生には一定不変の期限ははない。…

485.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の一)

最初に序の訳文を記載します。長い序ですので、五つに分けて記載します。 俗道:世の中の在り方 仮合即離:人体を仮に構成している四要素、地水火風がすぐ離れ離れになってしまうこと。 俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせ…

484.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の八)

沈痾自哀文(八の八)の訳文 「そもそも生きとし生ける者、悉く限りある身でありながら、なべて窮まり無き命を追い求めぬ者はない。こういうわけで、道士や方士たちが自ら丹経を背負って名山に入り薬を調合するのは、命を培い心を楽しませて長生を求めるため…

483.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の七)

沈痾自哀文(八の七)の訳文 「改めて思うに、人は賢愚の別なく、世は古今の別なく、悉くが死を悲嘆する。歳月は先を争って流れ去り、昼も夜も休むことがないし<曾子は「過ぎ去って帰らぬものは年」と言っている。孔子の臨川の嘆きもまたこのことなのである…

482.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の六)

沈痾自哀文(八の六)の訳文 「帛公略説(はくこうりゃくせつ)に「伏して思い自ら励ますのは長生をしようがためである。生は貪り願うべきだし、死は恐れるべきだ」とある。天地の最大の福徳を生という。だから、死んだ人間は生きている鼠にも及ばない。たと…

481.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の五)

沈痾自哀文(八の五)の訳文 「<志恠記(しかいき)に 「広平の前太守、北海の人徐玄方の娘が年十八で死んだ。その霊が馮馬子(ひょうまし)という若者に「限たところ、八十余歳の天寿になっている。それなのに早々と悪魔に殺されて四年を経た」と言った。…

480.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の四)

沈痾自哀文(八の四)の訳文 「生命力が尽き果ててその天寿を全うした者でさえ、なおかつ死は悲しいものである<聖人や賢者をはじめとして一切の命あるもの、誰がこの宿命から逃れえようか>。まして、いまだ天寿の半ばに及び」もしないのに、悪魔にあたら命…

479.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の三)

沈痾自哀文(八の三)の訳文 「私は、身はもはや俗事に深入りしているばかりか、心も俗塵になずんでいるので、禍いの潜んでいる所や祟りの隠れている所を知ろうと思い、占師の門や祈禱師の室(へや)をすべて訪れた。たとえ効果があるにしろ、またないにしろ…

478.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の二)

沈痾自哀文(八の二)の訳文 「はじめて病気にかかってからじりじりと年月が重なった<十余年を経たことをいう>。今や年七十四。鬢(びん)も髪も白髪が混じり、筋肉も痩せ力も衰えてしまった。単に年老いたばかりか、さらにこんな病気を加える身となった。…