万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

338.巻四・511:伊勢の国に幸(いでま)す時に当麻麻呂太夫(たぎまのまろのまへつきみ)が妻(め)の作る歌一首

伊勢の国に幸(いでま)す時:重出歌43番歌によれば持統六(692)年の行幸。 511番歌 訳文 「夫はどのあたりを旅しているのであろう。名張の山を今日あたり越えていることであろうか」 書き出し文 「我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越…

337.巻四・509・510:丹比真人笠麻呂、筑紫の国に下る時に作る歌一首あわせて短歌

509番歌 訳文 「女官の櫛箱に載っている鏡を見つというのではないが、御津の浜辺で着物の紐も解かずに妻恋しく思っていると、明け方の霧に包まれた薄暗がりの中で鳴く鶴のように、暗い気持で泣けてくるばかりだ。 せめてこの恋心の千分の一でも晴れようかと…

336.巻四・508:三方沙弥が歌一首

三方沙弥:123番歌参照、伝未詳、「沙弥」は入門したばかりの僧の称であるが、ここでは呼び名か。 508番歌 訳文 「二人でかわして寝た袖、この袖を分けて離れ離れになる今夜からは、あなたも私も恋心に責められることだろう。また逢うてだてもないのだから」…

335.巻四・507:駿河采女が歌一首

駿河采女:駿河の国駿河の郡出身の采女(うねめ) 507番歌 訳文 「枕を伝わってあふれ落ちる涙の川で、浮寝をしました。募る恋心のために」 書き出し文 「敷栲の 枕ゆくくる 涙にぞ 浮寝をしける 恋の繁きに」 恋の苦しさを誇張して表現した歌。 敷栲の:こ…

334.巻四・505・506:安倍郎女が歌二首

安倍郎女:伝未詳、269番歌に歌があります。 505番歌 訳文 「今さらなんの物思いをいたしましょう。私の心はすっかりあなたに靡き寄っていますものを」 書き出し文 「今さらに 何をか思はむ うち靡き 心は君に 寄りにしものを」 506番歌 訳文 「あなたはくよ…

333.巻四・504・柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首

504番歌 訳文 「あなたを忘れないのはもちろんのこと、ご一緒に住みたいとまで思うあなたの家につながる住坂の道をさえ、けっして忘れることはありません。私の命のある限りは」 書き出し文 「君が家に 我が住坂の 家道をも 我れは忘れじ 命死なずは」 住坂…

332.巻四・501~503:柿本朝臣人麻呂が歌三首

501番歌 訳文 「おとめが袖を振る、その布留山の端垣(みずかき)が大昔からあるように、ずっと前から私はあの人のことを思っていた」 書き出し文 「未通女(おとめ)らが 袖布留山の 端垣の 久しき時ゆ 思ひき我れは」 巻十一の「人麻呂集」に類歌2415番歌…

331.巻四・500:碁檀越(ごのだにをち)、伊勢の国に行く時に、留まれる妻(め)の作る歌一首

碁檀越:碁は氏の名。檀越は寺の施主の意で、称号か。 500番歌 訳文 「伊勢の浜の萩を折り伏せてあの人は旅寝をしておられることであろうか。あの波風荒い浜辺で」 書き出し文 「神風の 伊勢の浜萩 折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に」 神風:伊勢の枕詞 …

330.巻四・496~499:柿本朝臣人麻呂が歌四首

496番歌 訳文 「熊野の浦に群生する浜木綿は、葉が幾重にも重なり合っている。その重なる葉のようにあなたのことが心に深く思われるが、じかに逢う機会がなくて残念、早く逢いたいものだ」 書き出し文 「み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど ただに逢は…

329.巻四・492~495:田部忌寸檪子(たべのいみきいちひこ)、太宰に任(ま)けらゆる時の歌四首

田部忌寸檪子:伝不詳、忌寸は、渡来人の家系に多い姓。 492番歌 訳文 「着物の袖に縋って泣く子よりもっとお慕いしている私を、後に残してどうなさるつもりなの」 書き出し文 「衣手に 取りとどこほり 泣く子にも まされる我れを 置きていかにせむ」舎人吉…

328.巻四・490・491:吹芡(ふふきの)刀自が歌二首

吹芡(ふふきの)刀自:以下に二首は、吹芡刀自が男の立場および女の立場になって作った歌 490番歌 訳文 「真野の浦の淀みにかかる継橋、その橋に切れ目がないように、切れ目なく私を思う気持がお心の隅にでもあるのかしら、あなたの顔が夢に見えます」 書き…

327.巻四・489:鏡王女が作る歌一首

犬養氏の本の「41 風をだに」を引用します。 「今のは(前歌の488番歌)額田王の簾動かし秋の風吹くの歌でしたね。ところがそのすぐ次に、鏡王女のつくられる歌一首として、こういう歌がある。 489番歌書き出し文「風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに …

326.巻四・488:額田王、近江の天皇を偲びて作れる歌一首

近江の天皇:天智天皇 額田王が天智天皇を思って、お作りになった歌。 引用した本です。 書き出し文 「君待つと 吾(あ)が恋ひ居(を)れば わが宿の 簾うごかし 秋の風吹く」 訳文は、犬養氏の本(40 秋の風吹く)を引用します。 ・・・前略・・・ (天智…

325.巻四・485~487:崗本天皇の御製一首あわせて短歌

485番歌 訳文 「神代の昔から次々とこの世に生まれ継いできたこととて、広い国土には人がいっぱいに満ちて、まるであじ鴨の群れのように、乱れて行き来するけれど、どの人も私のお慕いするあの方ではないものだから、恋しさに、昼は昼とて暗くなるまで、夜は…

324.巻四・484:難波天皇の妹、大和に在す皇兄に奉上る御歌一首

難波天皇:難波に都した天皇に、仁徳天皇と孝徳天皇がある。この巻の編纂には巻二の相聞が意識されたらしいが、巻二の冒頭が仁徳天皇の皇后、磐姫の歌であるところからすれば、ここも仁徳天皇が意識されているとみてよいとのこと。 妹:仁徳天皇の異母妹、八…

323.巻三・481~483:死にし妻を悲傷しびて、高橋朝臣が作る歌一首あわせて短歌

481番歌 訳文 「衣の袖を互いにさし交して寄り添い寝た黒髪が、すっかり白くなってしまうまで、二人の仲はいつも新しい気持でいようね、けっして絶やすまい、妻よ、と互いに誓い合った約束は果さず、そう思い決めた気持は遂げずに、妻は交しあった私の袖をふ…

322.巻三・475~480:十六年甲申の春の二月に、安積皇子(あさかのみこ)の薨ぜし時に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る六首

安積皇子:聖武天皇の子。母は県犬養広刀自。天平十六年(744)閏正月十三日没。年17歳。当時の皇太子は藤原氏の光明皇后の子安倍内親王であったが、一部では皇子を将来の天皇と期待する人もいた。 内舎人:中務省に属し、帯刀して宿直・警護などにあたる。…

321.巻三・470~474:亡妾歌十三首の最後の第三群

470番歌題詞:悲嘆いまだ息(や)まず、さらに作る歌五首 悲嘆いまだ息(や)まず :第二群の悲しみがまだやまないので。 さらに:第二群を「さらに」で承けたのは、以下第三群で終えることを示す。 訳文 「いま思えば、こんなにもはかなくなってしまう定め…

320.巻三・465~469:亡妾歌十三首の第二群

465番歌題詞:朔(つきたち)に移りて後に、秋風を悲嘆しびて家持が作る歌一首 朔(つきたち)に移りて:月が変わって。夏六月から秋七月に入って、の意。 訳文 「この世ははかないものだとわかっていながら、秋風が寒々と身に沁(し)みるので、亡き人が恋…

319.巻三・462~464:亡妾歌(ぼうしょうか)十三首の最初の三首(第一群)

462番歌 題詞:十一年己卯の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾(ぼうせふ)を悲傷しびて作る歌一首 十一年:天平、739年。妾の死の時ではなく、作歌時を示す。このとき家持22歳。 亡妾:いかなる人か不明。妾は妻の一人。正妻に次ぐ者として、当時の社会では公…

318.巻三・460・461:七年乙亥に、大伴坂上郎女、尼理願(あまりぐわん)の死去を悲嘆しびて作る歌一首あわせて短歌

七年:天平七(735)年 大伴坂上郎女:379番歌参照してみてください。 souenn32.hatenablog.jp 460番歌 訳文 「遠い新羅の国から、日本は良い国との人の噂をなるほどとお聞きになって、安否を問うてよこす親族縁者とてないこの国にはるばる渡ってこられ、大…

317.巻三・454~459:天平三年辛羊の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首

天平三年:731年。7月25日に大伴旅人没。 454番歌 訳文 「ああ、お慕わしい。お栄え遊ばした君がこの世にいらっしゃたなら、昨日も今日もいつものように私をお召し下さるであろうに」 書き出し文 「はしきやし 栄えし君の いましせば 昨日も今日も 我を召さ…

316.巻三・446~453:天平二年庚午の冬の十二月に、太宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌五首と故郷の家に還り入りて、すなはち作る歌三首

天平二年:730年。旅人は大納言となり奈良の都へ帰った。 以下五首の前に438番歌から440番歌を参照してみてください。 帰京途次の歌(446~450番歌)と故郷の家に帰り作る歌(451~453番歌)を引き出す発端を成しています。 446番歌 訳文 「いとしい妻が行き…

315.巻三・443~445:天平元年己巳に、摂津の国の班田の史生丈部龍麻呂自ら経きて死にし時に、判官大伴宿禰三中が作る歌一首あわせて短歌

天平元年:729年、改元は8月。 経(わな)きて死に:首をくくる意。 大伴宿禰三中:龍麻呂の上官。 443番歌 訳文 「「はるかかなたに天雲の垂れ伏す遠い国に生れついた、ますらおといわれる者は、天皇の御殿で、あるいは外に立って警護に当たり、あるいは禁…

314.巻三・442:膳部王(かしはでのおほきみ)を悲傷しぶる歌一首

前歌(441番歌)とともに長屋王一家の不条理な死を詠んだ追悼の挽歌です。 膳部王:長屋王の子。母は、草壁皇子の娘、吉備内親王。父に殉じて母、兄弟とともに自尽。膳夫王とも書く。 442番歌 訳文 「世の中はかくも空しいものであることを示そうとて、なる…

313.巻三・441:神亀六年、己巳(つちのとみ)に、左大臣長屋王、死を賜はりし後に、倉橋部女王が作る歌一首

倉橋部女王:伝未詳、長屋王の妻か娘ではなかろうかと言われているが、確かではないとのこと。 441番歌 訳文 「あらがうことのできない天皇の仰せをうけたまわって、殯宮(あらきのみや)になどまだお祭り申す時ではないのに、雲のかなたにお隠れになってお…

312.巻三・438・439・440:神亀五年戊辰に、太宰帥大伴卿、故人を思(しの)ひ恋ふる歌三首

神亀五年:728年、439番歌と440番歌の作歌時とは合わないが、内容上関連する三首をこの年次のもとに編者が括ったらしい。以下453番歌までの旅人の歌十一首は一連をなす。 太宰帥大伴卿:大伴旅人。315番歌参照。 故人:旅人の妻、大伴郎女。神亀五年没。 438…