327.巻四・489:鏡王女が作る歌一首
犬養氏の本の「41 風をだに」を引用します。
「今のは(前歌の488番歌)額田王の簾動かし秋の風吹くの歌でしたね。ところがそのすぐ次に、鏡王女のつくられる歌一首として、こういう歌がある。
489番歌
書き出し文
「風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」
この鏡王女という方は、本居宣長の「玉勝間」では、額田王の御姉さんだというんですね。
今日、お姉さんだという説もたくさんある。
けれどこれは確かな証拠があるわけではないんですね、だから今はお姉さんということでなく考えてゆきましょう。
それじゃどういう方かといえば、初め天智天皇に愛された方です。
そしてその後、藤原鎌足のところへお嫁にいって、藤原鎌足の正妻となった人です。
歌の意味はこうだ。
風をだに、風だけでもあなたはいいわね。
風だけでも恋い焦がれているあなたは羨ましい。
「ともし」というのは羨ましい。風をだに恋うておるあなたは羨ましいわ。
風だけでも、あの方がいらっしゃりはしないかと、「来むとし待たば」やっていらっしゃるかしれないと思って待つならば、「何か嘆かむ」何を嘆きましょう。
風だけでも恋い焦がれているあなたさまは羨ましいわ、せめて風だけでもくるだろうと思って待ったならば、何の嘆くことがありましょうか。
ということは、鏡王女は待つ人がいないわけですね。
それはいつ頃歌ったかわかりません。
天智天皇に対して、愛が薄れて、「風をだに 恋ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」と歌っているかもしれない。
あるいは天智天皇から鎌足のところへ正妻となっていったでしょう。
あるいは鎌足が亡くなった後の気持でもありはしないか。
そう思うと一番ぴったりとしますね。
私にはもう待つ人がいないんだというのには一番ぴったりするんじゃないでしょうか。
いい歌ですよ、これも。
風をだに、風をだにと二回繰り返しているところは、そこに思いが深いですね。
いいわね、いいわね、あなたは簾動かし秋の風吹くと歌っていらっしゃるが、風をだけでも恋い焦がれているあなたは羨ましいな。
私は、あの人がくるんじゃないかと思って、風をだけでも待てるならば、何を嘆くことがありましょうか。
羨ましいわ。
歌は音楽ですから、風をだに、風をだにと二回繰り返しているんですね。
そして自分の寂しい気持ち。
羨ましい気持ちもあるんじゃないかしら。
これは額田王が歌われた時、すぐ唱和したのか、あるいは後から、前の歌を知っていてうたったのか、それはわからないけれども、二つはまことに調和していますね。
相い応じているんじゃないですか。
この鏡王女という方は、先ほど申しましたように鎌足の正妻になったでしょう。
鎌足が病気している時に、この方の発願で、奈良の興福寺というのができたんですよ。
そういうような方です。
それじゃ簾動かし秋の風吹くを思いながら、それに唱和してうたった鏡王女の歌を、もう一度うたってみましょう。
「風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」
引用を終わります。」
今朝は真冬に逆戻りしたように寒く、うっすらと雪が積もっていました。
昨日の予報では10~20㎝の積雪とのことでしたが。
3月17日~19日に札幌へ、紀伊國屋書店で五冊の本を購入、縁があったのですね。
昨日までに読み終わった本です。
明智氏の本は二冊目です。
大塚氏の本は、初めて、また、源氏物語の本を購入したのも初めてです。
今読んでいる本です。
呉座氏の本も「応仁の乱」に続く二冊目です。
第六章本能寺の変に黒幕はいたかを最初に読みました。
では、今日はこの辺で。