321.巻三・470~474:亡妾歌十三首の最後の第三群
470番歌題詞:悲嘆いまだ息(や)まず、さらに作る歌五首
悲嘆いまだ息(や)まず :第二群の悲しみがまだやまないので。
さらに:第二群を「さらに」で承けたのは、以下第三群で終えることを示す。
訳文
「いま思えば、こんなにもはかなくなってしまう定めであったのに、妻も私も互いに千年も生きられるようなつもりで頼みにしていたことだった」
書き出し文
「かくのみに ありけるものを 妹も我れも 千年のごとく 頼みてありけり」
前群を承けながら、改めて死に対する深い感慨を一般的に述べることにより、第三群をおこしている。
471番歌
訳文
「家を離れて出て行かれるわが妻を引き止めることもできず、ついに山に隠れるままにしてしまったので、ただただ心もうつろである」
書き出し文
「家離(いへざか)り います我妹を 留めかね 山隠しつれ 心どもなし」
葬送に至らせた悲嘆を思い浮かべての作。
468番歌と照応。
自分が妻を死なせたように言って痛恨の意をこめた。
家離(いへざか)り います:憶良の794番歌を踏まえている。死んだ妻に対して「行く」の敬語「います」を用いた。
472番歌
訳文
「世の中とはいつもこのようにはかないものなのだと、よく承知はしていたのだけれど、せつない気持は抑えようにも抑えきれない」
書き出し文
「世間は 常かくのみと かつ知れど 痛き心は 忍びかねつも」
470番歌を承け、世間無常の認識と相克する悲哀感情の極地を歌い、465番歌の心をも繰り返している。
473番歌
訳文
「あの佐保山にたなびいている霞、それを見るごとに、妻を思い出して泣かない日とてない」
書き出し文
「佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出で 泣かぬ日はなし」
471番歌の「山」を亡妻の墓のある「佐保山」、472番歌の悲嘆を「泣く」と具体化している。これは作者の心にゆとりが生じ、妻が思い出の対象になりつつあることを示す。
474番歌
訳文
「これまでは関係のないものと見ていた山だけれど、今はわが妻の墓どころだと思うと慕わしくてならない、あの佐保山は」
書き出し文
「昔こそ 外にも見しか 我妹子が 奥城と思へば はしき佐保山」
この歌で亡妻に対するやるかない悲傷は鎮まった。墓所の佐保山を懐かしく望む心境をもって第三群を歌い納め、同時に、一連十三首の亡妾悲歌の結びをなす。この結び方は特に憶良の799番歌を意識している。
引用した本です。
今朝は積雪ゼロで、しかも、晴れの穏やかな天気でした。
雪割り作業を昨日から始めました。
では、今日はこの辺で。