万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

322.巻三・475~480:十六年甲申の春の二月に、安積皇子(あさかのみこ)の薨ぜし時に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る六首

安積皇子:聖武天皇の子。母は県犬養広刀自。天平十六年(744)閏正月十三日没。年17歳。当時の皇太子は藤原氏光明皇后の子安倍内親王であったが、一部では皇子を将来の天皇と期待する人もいた。

内舎人中務省に属し、帯刀して宿直・警護などにあたる。家持は天平十~十六年、内舎人であった。

六首:前後二回の長反歌の総数を示したもの。

475番歌

訳文

「心にかけて思うのも恐れ多い、ましてや口にかけて申すのも憚り多いことだ。わが大君、皇子の命が万代までもお治めになるはずの大日本久邇(おおやまとくに)の都は、春ともなれば山辺には花がたわわに咲き、川瀬には若鮎がついついと走り、日に日に栄えてゆく時に、人惑わしの空言ではなかろうか、事もあろうに舎人たちは喪服を纏い、和束山(わづかやま)に皇子が御輿をお停めになって天上を治めに上ってしまわれたので、伏し悶え涙にまみれて泣くのだが、いまはどうする術もない」

書き出し文

「かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本

久邇の都は うら靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きをゐり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども 為むすべもなし」

皇子を将来の天皇として讃仰することを通して、深い哀悼の意を表している。人麻呂の日並・高市両皇子に対する宮廷挽歌(167、199番歌)からの影響が濃い。

大日本久邇(おおやまとくに):久邇京の正式名。ここにこの名を用いて国家統治の意を強調している。久邇京は天平十二~十六年の都。京都府相楽郡加茂・木津町にわたる。

川瀬:木津川の瀬。

和束山:久邇京の東北、和束町の山。安積皇子の墓がある。

御輿立たして:葬送の御輿の停止を皇子の意志によるとみた表現。

反歌

476番歌

訳文

「わが大君がここで天上をお治めになろうとは思いもかけなかったので、今までなおざりに見ていたのだった、この杣山(そまやま)の和束山を」

書き出し文

「我が大君 天知らさむと 思はねど おほにぞ見ける 和束杣山

杣山:材木を伐り出す山。それが常宮となったと歌うことで嘆きを深めている。

477番歌

訳文

「山のくまぐままで照りかがやかせて咲きほ盛っている花が、にわかに散ってしまったような、我が大君よ」

書き出し文

「あしひきの 山さへ光り 咲く花の 散りぬるごとき 我が大君かも」

右の三首は、二月の三日に作る歌。

華麗にしてはかない花の描出は、徳高い皇子の早逝を悼むにふさわしい。皇子の死によって山(皇子の周囲)は一挙に暗黒と化したのである。

二月の三日:太陽暦の三月下旬。薨去から二十一日目で三七日の忌日。この歌はその日の供養に歌われたか。

478番歌

訳文

「心にかけて思うのもただ恐れ多いことだ。

我が大君、皇子の命が、数多くの臣下たちを呼び集め、引き連れられて、朝の狩には鹿や猪を追い立て、夕の狩には鶉や雉を飛び立たせ、そしてまた御馬の手綱をひかえ、あたりをながめて御心を晴らされた活道の山、その山の木々は伸び放題に伸び、咲いていた花は、今は皇子とともにすっかり散り失せてしまった。

世の中とはこんなにもはかないものでしかないらしい。

ますらおの雄々しい心を振り起し、剣太刀を腰に帯び、梓弓を手に、靫(ゆき)を背に負って、天地とともにますます遠く久しく、万代までもこうしてお仕えしたいものだと頼みにしてきた、その皇子の御殿にかつては賑わしくお仕えしていた舎人たちは、いま喪服を身にまとい、いつもの笑顔や立居振舞が日一日と失われてゆくのを見ると、悲しくてたまらない」

書き出し文

「かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率(あども)ひたまひ 朝狩りに 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉(とり)踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山(かくぢやま) 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ましらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蠅(さばへ)なす 騒ぐ舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑(ゑま)ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも」

皇子にゆかり深い「活道山」と「舎人」とを中心に、それぞれ皇子の生前と薨後との状況を対照させつつ悲しみの心を尽くしている。この歌は特に憶良の句(804、897番歌など)の踏襲が目立つ。

反歌

479番歌

訳文

「ああ、いたましい、わが皇子が常にお通いになりつつご覧になった活道山の道は、今はもうすっかり荒れはててしまった」

書き出し文

「はしきかも 皇子の命の あり通ひ 見しし活道の 道は荒れにけり

長歌前半の「活道山」を承けて、皇子亡き後の景に即した悲哀をいっそう深めている。類想歌232、234番歌。

480番歌

訳文

「靫負(ゆけい)の大伴と名の知られているその靫(ゆき)を身につけて、万代までもお仕えしようと頼みにしてきた心を、今はいったいどこに寄せたらよいのか」

書き出し文

「大伴の 名負ふ靫帯びて 万代に 頼みし心 いづくか寄せむ」

右の三首は、三月の二十四日に作る歌。

この一群も皇子の供養の歌らしいが、前の一群よりは内輪の席のものであろう。

引用した本です。

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今朝は積雪2㎝ほどで、朝食前に軽い雪かきをしました。

何んとなく春が近づいているなと感じます。

でも、まだ木々の芽は固いです。

午後にでも雪割り作業をして、庭の雪が早く消えるようにしよう。

では、今日はこの辺で。