219. 巻三・270~277:高市連黒人が羈旅(きりょ)の歌八首
270番歌
訳文
「旅にあってそぞろ家恋しく感じていたところ、山の下にいた朱塗りの船が沖を漕いで行くのが見える」
書き出し文
「旅にして もの恋しきに 山下の 赤(あけ)のそほ船 沖を漕ぐ見ゆ」
271番歌
訳文
「桜田の方へ鶴が鳴きながら飛んで行く。年魚市潟の潮が引いたらしい。鶴が鳴きながら飛んで行く」
書き出し文
「桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る」
桜田:今の名古屋だそうです。
272番歌
訳文
「四極山(しはつやま)を越えて彼方を見やると、笠縫の島に漕ぎ隠れて行く、棚なし小船が」
書き出し文
「四極山 うち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠る 棚なし小船」
四極山:摂津の地名か。巻六・999番歌にもあり、同じ地と見られる。
273番歌
訳文
「磯の岬を船でめぐりゆくと、近江の海に注ぐ川の河口どとに鶴が群れて鳴き騒いでいる」
書き出し文
「磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば 近江の海 八十の港に 鶴(たづ)さはに鳴く」
磯の崎:湖に突き出した岬が岩石の多い磯になっているところ
274番歌
訳文
「われわれの舟は比良の港で泊ることにしよう。岸辺を漕いで、沖の方へ離れてくれるな。もうはや夜も更けてきた」
書き出し文
「我が舟は 比良の港に 漕ぎ泊てむ 沖へな離(さか)り さ夜更けにけり」
比良:滋賀県滋賀郡志賀町木戸・小松の比良山東麓あたりとのこと
275番歌
訳文
「どのあたりで今晩は泊まることになるだろうか。高島の勝野の原で日が暮れてしまったなら」
書き出し文
「いづくにか 我が宿りせむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば」
広漠とした勝野の原野を旅するうちに夕暮をむかえた不安を詠んだ歌
276番歌
訳文
「あなたも私も一つであるというわけでしょうか、三河の国の二見の道で別れようとしてなかなか別れられないのは」
書き出し文
「妹が我れも 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる」
277番歌
訳文
「もっと早くやってきて見ておけばよかったのに。山背(やましろ)の多賀のもみじした欅林は、もうすっかり散ってしまったあとだ」
書き出し文
「早来ても 見てましものを 山背の 多賀の槻群 散りにけるかも」
槻群:欅の林、ここは槻群の黄葉の意
「柿本朝臣人麻呂と同じ時代の人で、高市連黒人という人がいる。その黒人の歌。黒人という人は短歌十八首しか残していないんですが、すばらしい短歌がある。その一つ」と犬養先生は、わたしの萬葉百首(上巻)の「32鶴鳴きわたる(271番歌)」で書き始めています。
・・・鶴というのは万葉時代、どこにでもいたんだよ。・・・
・・・広々とした空の空間的広さ。
その一画に鶴の群れがワッと行く。
また後から後から行くような、その空で奏でている音楽に、作者が一緒になっている心持ちですね。
歌というものはすべて音楽だけれど、特に音楽性に富んでいるのは、この黒人です。
そしてしかも黒人という人は、自然の一画を見事にとらえてみせる。
だから時には、それが寂しい歌になることある。
これは大変伸びとした明るい、音楽性に富んだ歌。
じゃうたってみよう。
「桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る」
で、文章を終えていますが、二つほど追加します。
鶴(たづ):鶴の歌ことば、丹頂鶴ではなくナベ鶴、真鶴、薄墨色をしている、その鶴ではないかとおもいますが、どうでしょう。
桜田という地名と年魚市潟という地名と二つで、一つの空の空間的距離感があるでしょう。
先生の文章は、ラジオで放送されたもので、読んでいて引き込まれるような迫力がります。
271番歌は、集中4516首の中から選ばれた一首です。
以下の本を引用しました。
今日もこの時期としては、暖かいようです。
では、こにへんで。
追記:黒人の歌は、すでに巻一・32、33、58、70番歌で紹介しています。
あと、巻一・279、280、283、305番歌、さらに巻九・1718番歌、巻十七・4016を含めて集中十八首です。