230.巻三・292~295:角麻呂が四首
角麻呂:伝不詳
292番歌
訳文
「その昔、天の探女(さぐめ)が乗って天降った岩船の泊った高津は、その面影もとどめぬほどに浅くなってしまった」
書き出し文
「ひさかたの 天の探女が 岩船の 泊(は)てし高津は あせにけるかも」
難波の高津に来て、神代の伝説と眼前の地形の相違に今昔の感を覚えて詠んだ歌。
ひさかたの:天の探女の枕詞
天の探女が・・・:「摂津風土記」逸文に、天稚彦が天降ったとき、付き従った天の探女の「岩船」が泊まったところを高津と名付けたという地名説話がある。
岩船:神の乗り物で堅固な岩の船。
293番歌
訳文
「今ごろは、潮の引いた難波の御津の海女たちがくぐつを持って玉藻刈っている最中だろう。さあ、行ってそれを見ようではないか」
書き出し文
「潮干(しほひ)の 御津の海女(あまめ)の くぐつ待ち 玉藻刈るらむ いざ行きて見む」当時、海岸に遠い、都などに住んでいた人は、海女が藻を刈るのを好奇の眼をもって眺めた。
御津:潮が「満つ」を懸ける。
くぐつ:海辺に生える莎草(くぐ)で編んだ手さげ袋。
294番歌
訳文
「風が激しくて沖の白波が高く立っているらしい。海人の釣船はみな浜に帰って来てしまった」
書き出し文
「風をいたみ 沖つ白波 高からし 海人の釣舟 浜に帰りぬ」
難波の高津あたりで実景を詠んだものか。
295番歌
訳文
「住吉(すみのえ)の岸の松原、ここはわが天皇の行幸された由緒ある所なのだ」
書き出し文
「住吉(すみのえ)の 岸の松原 遠(とほ)つ神 我が大君の 幸(いでま)しところ」
難波行幸は昔から多かったが、わが天皇がこの住吉の岸まで足をのばされたことがある知って詠んだ歌。
住吉の岸:大阪市住吉付近。「住吉」を「すみよし」と読むのは平安時代以降。万葉時代は「すみのえ」と呼ばれていた。
遠つ神:我が大君の枕詞の文字に引かれた結果と思われる。
引用した本です。
住吉について参考にした本です。
次回の記載は、11月15日を予定しています。
では、この辺で。