372.巻四・587~610の内の587~594:笠郎女、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首の内の八首(3-1)
笠郎女:385~397番歌参照。家持と交渉のあった女性歌人。笠金村の近親者か。集中の二十九首は、すべて家持に贈ったもの。
二十四首:四首づつが一組をなして六群に分かれる。各群の一首目に類歌を持つもの、二首目に物に寄せる歌、三首目に近くにいるのに逢えないことを嘆く歌、四首目に内容的な歌が位置する傾向がある。
一群
385番歌
訳文
「さしあげた私の形見を見ながら思い出して下さい。長い年月をいつまでも、私もあなたを思いつづけておりましょう」
書き出し文
「我が形見 見つつ偲はせ 年の緒長く 割れも思はむ」
逢瀬がしばらくとだえた後に、かつて相手に贈った形見の品を通じて、相手の関心を呼び戻そうとする歌。
形見:離れている人を偲ぶよすがとなる品。鏡や衣類が多い。
年の緒:年を長く続く緒と見立てたもの。
588番歌
訳文
「飛羽山の松ではないが、おいでを待ちながら慕いつづけております。この何ヵ月もの間を」
書き出し文
「白鳥の 飛羽山松の 待ちつづぞ 我が恋ひわたる この月ごろを」
589番歌
訳文
「打廻(うちみ)の里にいる私なのに、ご存じないのであの方はいくら待っても来られないのだなあ」
書き出し文
「衣手を 打廻の里に ある我れを 知らにぞ人は 待てど来ずける」
打廻の里:未詳。
590番歌
訳文
「年もたったことだし今ならもうさしさわりあるまいなどと、めったにあなた、私の名を口外しないで下さい」
書き出し文
「あらたまの 年の経ぬれば 今しはと ゆめよ我が背子 我が名告(の)らすな」
二群
591番歌
訳文
「胸の奥にひそめた私の思いを人に知られたせいなのかしら、心当たりもないのに、大切な玉櫛笥(たまくしげ)の蓋をあけた夢を見てしまった」
書き出し文
「我が思ひを 人に知るれか 玉櫛笥 開きあけつと 夢にし見ゆる」
522番歌参照。
592番歌
訳文
「闇夜に鳴く鶴が、声ばかりで姿の見えないように、よそながらお噂を聞くばかりなのだろうか。お逢いすることもないままに」
書き出し文
「闇の夜に 鳴くなる鶴の 外のみに 聞きつつかあらむ 逢ふとはなしに」
593番歌
訳文
「君恋しさにじっとしておれなくて、奈良山の小松の下に立ちいでて嘆くばかりです」
書き出し文
「君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ち嘆くかも」
奈良山:17番歌参照。
小松:待つの意が響く。
594番歌
訳文
「わが家の庭の夕蔭草(ゆふかげくさ)に置く白露のように、今にも消え入りそうなほど、むしょうにあの方のことが思われる」
書き出し文
「我がやどの 夕蔭草の 白露の 消ぬがにもとな 思ほゆるかも」
じっとしておれないと歌った前歌に対して、内へ沈潜する恋の悲しみが、はかない物象をかり、「の」を重ねた形で表されている。
白露の:上三句は序。「消ぬがに」を起こしつつ人恋う作者の姿を示す。
消ぬがに:死にそうに。
引用した本です。
593番歌は犬養氏の本(45 奈良山)も参考にし、一部下に引用しました(平城宮跡より奈良山の写真が本にあります。それを眺めながら593番歌を読んでみました)。
「・・・奈良山は家持の住んでいた佐保の裏山ですね。
・・・奈良山の景観の中に立っての、・・・北見志保子の「奈良山」の歌を歌いますね。あの歌も、おそらくこの歌などが背後にあるにちがいないと思いますよ。・・・」
では、今日はこの辺で。