185.巻二・165、166:大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首
165番歌
訳文
「現世の人であるこの私、明日からは二上山を弟としてずっと私は見つづけよう」
書き出し文
「うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)と我れ見む」
166番歌
訳文
「岩のほとりに生えている馬酔木を手折りたいと思うが、見せてあげたいあなたがいるというではないのに」
書き出し文
「磯の上に生ふるあしびを手折らめど 見すべき君がありといはなくに」
北海道には馬酔木は自生していなく、北大植物園と百合が原公園の温室で、その花を撮ることができます。
2008年2月下旬に奈良大和路を訪ねた目的の一つでもありました。
初めて花を見たのが秋篠寺でした。
もう馬酔木の花を撮れないかなとあきらめかけていた時でした。
そして、2010年3月上旬に再訪した時には、飛鳥寺、岡寺、新薬師寺、白毫寺、高畑町付近などで撮ることができました。
馬酔木の花が好きなことから166番歌が特に万葉歌の中で印象に残る一首となっています。
また、入江泰吉氏の浄瑠璃寺山門の馬酔木の花の写真と中西 進氏の麗文でいっそうこの歌が好きになりました。
その中の「馬酔木の大和」の書き出しは、「堀辰雄のエッセイ「大和路・信濃路」の中に、「浄瑠璃寺の春」という麗文がある。氏が夫人をともなって浄瑠璃寺を訪れたときの文章だが、その中に、小さな寺門のかたわらに馬酔木を見つける件がある。・・・・・・」です。
本はたぶん入江泰吉記念館の奈良市写真美術館で購入したものです。
中西氏の麗文は、巻二・166番歌と巻十・1903番歌の二首について馬酔木の花とともに説明されています。
166番歌と奈良大和路の花、馬酔木の花を深く理解し、ますますひかれました。
私の拙い写真を貼り付けます。
伊勢神宮内宮で2013年4月18日撮影
2008年2月29日:秋篠寺
2010年3月3日:奈良市
2010年3月:飛鳥寺かな
2010年3月:新薬師寺
2010年3月:奈良市内
記載に参考にした本です。
中西氏の麗文は、「・・・馬酔木の花は小さく白い。大輪で強烈な、豪華といった花ではない。その風情を万葉の民衆は愛したのである。万葉におけるこのような花への愛好は、この歌集が基本的にもっている特徴であり、万葉の花々は、おおむね小さく清楚である」と結んでいます。
記載にあたり、再度読み直しました。
姉の大伯皇女が哀咽して詠んだといわれる166番歌は、奈良大和路の馬酔木の花と中西氏の美文とともに心に強く残ります。
馬酔木は集中十首詠まれています。
今日はこの辺で。
追記:ブログ番号77に↓、記載しています。