302.巻三・416:大津皇子、死を被(たまは)りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首
大津皇子:謀反のかどで持統朝の朱鳥元年(686)十月三日に処刑された。年二十四歳。
磐余の池:池は皇子の訳語田(おさだ)の邸近くにあったか。
大津皇子の変:誇り高き皇子の恋と悲劇的な結末、巻二・107~110番歌と姉の大伯皇女の歌↓(105番歌と106番歌)を参照してみてください。
詞書には池の堤で涙を流して詠んだとあり、大津皇子の無念さが迫ってくる歌です。
ここに大津の血統は断絶した。
自己の死を擬視して詠んだ最古の辞世歌。
大伯皇女の挽歌↑(巻二・165.166、)も読んでみてください。
416番歌(磐余の池そのものを詠んだ萬葉歌はこの一首だけです)
訳文
「(百伝ふ)磐余の池に鳴いている鴨を、今日を限りと見て、死出の旅路につくことだろう」
書き出し文
「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠り」
題詞の死は、単に死を示すのではない。
当時、位階によって死を示す表現が違っていた。
天皇は「崩」、一~三位は「薨」、四~五位ならば「卒」、そして六位以下は「死」。
判明している限りにおいては大津皇子の位階は従四位上相当でぁるこの「死」の文字は、大津皇子を謀反人として扱っていることを示す。
大津皇子の辞世歌は、実作か否かをめぐって論争が繰り返されてきた。
しかし、重要なのは実作か否かよりも、二十四歳の皇子が、謀反人として死ななければならない気持ちが、この歌に溢れていることであろう。
「磐余の池」に鳴く鴨は昨日も今日も明日も自由に鳴き、自由に飛ぶ。
しかし、自分には皇子としての昨日はなく、鴨の声を聞き、鴨の姿を見ることができるのは今日のみある。
歌に「明日」と詠(うた)われないように、皇子に明日はない。
雲隠る:貴人の死を言う。皇子の霊魂が鳥に化して雲隠れるイメージを喚起する。
なお、集中「磐余」を詠んだ歌は五首あるが、巻三・282番歌以外すべて挽歌である。
ここに「磐余」の属性の一端を見ることができる。
引用した本です。
今朝は3㎝ほどの積雪で、朝食前に雪かきをしました。
寒さは厳しいです。
では、今日はこの辺で。