400.巻四・683~689:大伴宿禰坂上郎女が歌七首
683番歌
訳文
「他人の噂のこわい国がらです。だから思う気持を顔色に出してはいけません、あなた。たとえ思い死をするほど苦しくっても」
書き下し文
「言ふ言の 畏き国ぞ 紅の 色にな出でそ 思ひ死ぬとも」
恋歌に自らの死を口にする例は万葉後期に多いが、相手には用いないのが普通。ここでは戯れてそれを用いたか。
684番歌
訳文
「そうは言っても私はもう死んでしまいますよ、あなた。生きていても、あなたが私に心を寄せるだろうとは、誰も言ってくれそうにないもの」
書き下し
「今は我は 死なむよ我が背 生けりとも 我れに依るべしと 言ふといはなくに」
前歌の「言ふ言」を「言ふ」で承け、「思ひ死ぬ」を自らの焦がれ死に転じた歌。
685番歌
訳文
「人の口がうるさいためでしょうか。二鞘の刀のように間近い家なのに、あなたが隔たったまま来もせずに私を恋しがっていらっしゃるというのは」
書き下し文
「人言を 繁みか君が 二鞘の 家を隔てて 恋ひつついまさむ」
683番歌の上二句を承けている。
二鞘:「家を隔てて」の枕詞。二つくっついてそれぞれに小刀をさしこむ造りの鞘。近くにいて逢えないことの譬喩。正倉院にと類似の遺品がある。
686番歌
訳文
「このごろは逢わずに千年もたったような気がするが、私がそう思うだけなのか、それとも逢いたい気持からそんな気がするのであろうか」
書き下し文
「このころは 千年(ちとせ)や行きも 過ぎぬると 我れかしか思ふ 見まく欲りかも」
空間的な近さを通して思う心を詠んだ前歌に対して、時間的な長さを通して歌っている。
687番歌
訳文
「すばらしいお方と思うこの私の気持は、いくら堰き止めても激流が堰を崩すように、抑えてもやっぱりほとばしり出てしまうことだろう」
書き下し文
「うるはしと 我が思ふ心 早川の 塞きに塞くとも なほや崩えなむ」
688番歌
訳文
「青山を横切ってたなびく白雲のように、はっきりと私に向かってほほえみかけて、しかもそれと人に知られないようにして下さいね」
書き下し文
「青山を 横ぎる雲の いちしろく 我れと笑まして 人に知らゆな」
689番歌
訳文
「海や山を隔てた遠くにいるわけでもないのに、目くばせする機会さえどうしてこうも少ないのであろうか」
書き下し文
「海山も 隔たらなくに 何しかも 目言をだにも ここだ乏しき」
引用した本です。
今朝は曇り空で肌寒い一日のようです。
最高気温は15℃くらいの予報です。
では、今日はこの辺で。