万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

382.巻四・625:高安王、裏(つつ)める鮒を娘子(をとめ)に贈る歌一首

裏める:鮮度を保つために藻にくるんだか。

625番歌

訳文

「沖を漕ぎ岸べを漕ぎして、たった今あなたのために私がとってきたばかりのものですよ。この藻の中に臥しているちっぽけな鮒は」

書き出し文

「沖辺行き 辺を行き今や 妹がため 我が漁(すなど)れる 藻臥束鮒(もふしつかふな)」

束鮒:長さが握りこぶしの幅ほどしかない小さな鮒。贈り主としての謙遜の辞。

引用した本です。

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今朝は曇り空ですが、予報では最高気温が20℃を越えるとか、久しぶりの20℃代です。

万葉人の恋の歌、これまで多く読んできましたが、現代の人のスマートフォンでの恋との違いは、とつい思ってしまいました。

でも、現代人の恋について、よくわからないので、思うこと自体無理ですね。

文字にした恋歌の方が実態が感じられ、末永く長く残るかな。

現代のスマートホンやパソコンの記憶媒体が変遷して、長く残らないのではと思うのです。

和紙は千年以上残った実績があります。

では、今日はこの辺で。

追記:2018年5月21日5時27分

恋について万葉人と現代人の違いは、恋歌・恋文とラブレターの違いでしょうか。

今から千年経ったら、恋文はどのような語になり、どのような言葉と道具で恋を語っているのでしょう。