215.巻三・266;柿本朝臣人麻呂が歌一首
村田右富実氏の「湖西を北へ(滋賀)」を引用します(下の本です)。
「近江大津宮滅亡の何年後かわからない。柿本朝臣人麻呂はこの地を訪れた、そして、「万葉集」を代表する名歌が生まれた」
266番歌
訳文
「近江の海(琵琶湖)、夕波に浮かぶ千鳥よ、
お前が鳴くと、心もしおれるほどにいにしえのことが思われてならない」
書き出し文
「近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古(いにし)へ思ほゆ」
今、「夕波千鳥」を「夕波に浮かぶ千鳥」と現代語訳したが、「浜辺を伝う千鳥ではないのか」、「湖上を舞い飛ぶ千鳥ではないのか」と質問を受ければ、「不明」と答えるよりない。
そればかりではない。
「千鳥」は何羽いるのだろうか。
かっての大宮人を髣髴(ほうふつ)させるように群れているのか、それとも、いにしえに想いをいたす狐愁の一羽なのか。
これも定説がない。
こうした解釈の揺れは「夕波千鳥」ということば自体が様々な解釈を許容するからである。
「夕」という時間、「波」という空間、「千鳥」という存在、それぞれが助詞などを伴わずに繋がれたままに、放り出されているため、読み手がこの三要素を自由に結びつけてしまうのである。
しかし、そうした曖昧性はマイナスには働かず、それぞれの享受者に最適な「夕波千鳥」を心の中に構成させてしまう。
その結果、解釈は安定しないけれども、高い評価は安定する。
この歌の背景には、壬申の乱で廃都になった近江朝に対する懐旧の情が存在する。
人間から見ると、目の前の千鳥も近江朝の千鳥も区別はない。
眼前の千鳥が、近江朝の盛期を知っているようにさえ思えてくる。
変わらぬ自然(千鳥)と常ならぬ人事(近江朝)との対比は目新しいものではないが、なお我々の心を打つ。
しかし、この歌の本質がそこにあるわけではあるまい。
先に記したように、千鳥は近江朝の千鳥ではなく、その鳴き声は決して近江朝を思っての鳴き声ではない。
にもかかわらず、その鳴き声に自己の悲しみを見出し、自らの泣き声すら重ね会わせて、心そおれるほど「古へ」のことが脳裏に立ち上がってくるのである。
千鳥の鳴き声と自分の気持ちを同期しても、決して近江朝とは幾重にも隔てられており、決して近江朝に遡源できない。
また、その鳴き声に触発された近江朝も幻想でしかない。
全ては絶望的なまでに不可能である。
それでもなお、同期してしまう心、往時を偲ぶ感情だけは事実である。
その真実こそがこの歌の本質であろう。
背後に沈み行く夕陽に照らし出された近江の海の千鳥は、今も鳴いている。」
国名の「近江」の文字は、浜名湖のある「遠(とほ)つ淡海」(遠江)に対して「近(ちか)つ淡海」の意からくるもので、それをたんに「近江」と呼んだものである、と下の本にありました。記載に当たり読んだ本です。
下の本も読んで、参考にしました。
本によって訳(歌意)がすこし異なるのですが、それぞれの柿本朝臣人麻呂へ思いが伝わってきます。
では、この辺で。
しばしの暖かさも今日までのようです。
明日は雪かな。