441.巻五・802・803:子等を思う歌一首あわせて序と反歌一首(二の二:短歌)
犬養 孝氏の下の本を引用します。
「49 銀も金も玉も」です。
「今日は山上憶良の有名な歌をうたってみましょう。
しろがねも 金(こがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも(巻五ー803 山上憶良)
この歌ご存じでしょう。この歌にはこういう序がついているんです。
大意を申します。
お釈迦さまがお説きになるのには、衆生を等しく愛することはラゴラのようだ。ラゴラというのは、お釈迦さまが出家する前にこしらえた子供です。衆生を愛することはラゴラのようだとおっしゃる。またはお釈迦さまは、こうおっしゃいました。愛ということは子供を思うことが一番だ。子に過ぐるものはありはしない、とおっしゃった。ああ、この偉いお釈迦さんでも、やっぱり子供を愛する心がこんなにも深いんだ。いわんや、一般の人々が誰か子供を愛さないものがあるだろうか。
こういう序があってそして、皆さんご存知でしょう。
瓜はめば 子供思ほゆ 栗はめば まして偲はゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ(巻五ー802)
有名な歌、子供は瓜だの栗だの好きでしょう。
瓜を食べれば子供のことが思われるし、栗を食べれば子供のことが思われる。子供って一体何処からやって来たんだろう。本当に不可思議だ、何処からやって来たんだろうか。
そして、何時までも目の先からちらついて、「まなかひに もとなかかりて」無茶にひっかかって来て、子供のことを思うと眠ることもできないとあって、この歌がある。
そうでしょう、白金、銀ですね。銀であろうが、金であろうが、玉であろうが、そんなもの何になろう、子に及ぶような宝がこの世にあるだろうか。とうたっている。これは有名ですね。
しかしこれは、憶良が自分の子供が可愛いからとうたっているんじゃないんですよ。
人の親の心になって、子供を持った親の心はこうだという、その気持を言っているんですね。そしてこれは何時できたかというと、聖武天皇の神亀五年の七月二十一日の歌なんです。
憶良が六十九歳の時の歌ですね。人間やはりお釈迦さまだって子供のことが可愛いと言っているじゃないか、親と子との関係というのは全く深い縁ですね。そのことを憶良は深く言っているわけです。
それには憶良はもちろん儒教の勉強をしているから、そのことも根本にあるでしょうが、人間この煩悩からはお釈迦さまだってそうだもの、我々この凡人がこの煩悩からは逃れられない、というその気持ち、人の親の気持ちを深く思って作った歌です。それじゃ、うたってみよう。
しろがねも 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも」
引用した本では、山形県高瀬にて撮った栗の花が掲載されています。
では、新薬師寺の写真を貼り付けます。
2008年の2月下旬に訪れました。
そのころ、小樽は1m以上の雪が積もっています。
山茶花や椿の花、そして柑橘類の実が珍しく、撮ったものです。
次回の記載は、7月24日で、画像は、白毫寺を貼り付けます。
もう直に午前五時、では、今日はこの辺で。