万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

442.巻五・804・序・805:世間の住みかたきことを哀しぶる歌一首あわせて序 反歌

世間の住みかたきことを哀しぶる歌:俗世の住みにくさを悲しむ歌

序から集中では記載されています。

「集まりやすく排(はら)ひかたきものは八大の辛苦なり、遂げかたく尽くしやすきものは百年の賞楽なり。古人の嘆くところ、今にも及ぶ。

このゆゑに、一章の歌を作り、もちて二毛(じまう)の嘆(たん)を撥(はら)ふ。

その歌に日(い)はく、」

804番歌

訳文

「この世の中で何ともしようのないものは、歳月は遠慮なく流れ去ってしまい、くっついて追っかけて来る老醜はあの手この手と身に襲いかかることである。

たとえば、娘子(おとめ)たちがいかにも娘子らしく、舶来の玉を手首に巻いて<白い袖を振り交わし紅染の裳を引いて>、同輩の仲間たちと手を取り合って遊んだ、その娘盛りを長くは留めきれずにやり過ごしてしまうと、蜷(にな)の腸のようなまっ黒い髪にいつの間に霜が降りたのか、紅の<まっ赤な土のような>面の上にどこから皺のやつが押し寄せて来たのか、みんなあっという間に老いさらばえてしまう<いつもの頬笑みも眉も花の散るように変わり果ててしまった。この世の人はみんなこんなものであるらしい>。

勇ましい若者たちがいかにも男らしく、剣太刀を腰に帯び狩弓を握りしめて、元気な赤駒に倭文(しつ)の鞍を置き手綱さばきもあざやかに獣を追い廻した、その楽しい人生がいつまで続いたであろうか。

娘子たちが休む部屋の戸板を押し開けて探り寄せ、玉のような腕(かいな)をさし交わして寝た夜などいくらもなかったのに、いつの間にやら握り杖を腰にあてがい、よぼよぼとあっちへ行けば人にいやがられ、こっちへ行けば嫌われて、ほんにまったく老人とはこんなものであるらしい。むろん命は惜しく常住不変を願いはするものの、施すすべもない」

書き下し文

「世間の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追い来るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)寄(よ)り来る 娘子らが 娘子さびすと 韓玉を 手本に巻かし よち子らと 手たづさはりて 遊びけむ

時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ 蜷(みな)の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅(くれなゐ)の上に いづくゆか 

ますらをの 男さびすと 剣太刀 腰に取り佩(は)き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊びありきし 世間や 常にありけりる 

娘子らが さ寝(な)す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖(てつかづえ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎まえ 老(お)よし男(を)は かくのみならし たまきはる 命惜(いのちを)しけど 為(せ)むすべもなし」

反歌(805番歌)

訳文

「常盤のように不変でありたいと思うが、老や死は人の世の定め故、留めようにも留められない」

書き下し文

「常盤なす かくしもがもと 思へども 世の事理(こと)なれば 留みかねつも」

神亀五年七月二十一日 嘉摩の郡にして選定す。

筑前国山上憶良

嘆きを歌に表出することで二毛の嘆きを払ったもの。

長谷寺の画像を貼り付けます。

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次回も長谷寺を貼り付けたいと思います。

久しぶりの記載です。

昨日退院してきました。

白内障で両眼の手術をしました。

70代の87%が罹る病気のようです。

眼鏡を新しくしようと眼科に行き、白内障と診断されました。

細かい字やパソコンが見違えるように見えやすくなりました。

では、今日はこの辺で。