285.巻三・392:太宰大監大伴宿禰百代が梅の歌一首
392番歌
訳文
「あの夜見た時あたりをつけた梅だったのに、ついうっかり手折らずに来てしまった。
いい梅だとおもっていたのに」
書き出し文
「ぬばたまの その夜の梅を た忘れて 折らず来にけり 思ひしものを」
その夜宴席で見そめた遊行女婦(うかれめ)を手に入れなかった軽い後悔を寓した歌。
梅:女を譬えた
折らず:「折る」は女と契りを結ぶことを譬えた。
梅の歌は萩(百四十一首)に次いで多く詠まれ、百十九首の歌があるようです。
万葉集では、ウグイス、雪、月などが一緒に詠まれています。
梅は、中国原産の落葉高木で、奈良時代の終わりころに、中国の高貴な花として、はじめてわが国に伝えられ、まず九州・大宰府の庭に花開いたと言われます。
実際に梅の花を見ることはなく、教養として梅の歌を数多く詠んだものと思われます。
なかでも萬葉集巻五には、天平二(730)年正月十三日に、大伴旅人の館に多勢招かれ、初春を寿ぐ祝宴が開かれました。
その席に、中国の漢詩に詠まれているように、鏡の前に梅を置き、参加している一同に落梅の歌を請うという詳しい序文があり、次いで三十二首の梅の歌(815~846番歌)がずらり並んでいます。
さらに、洩れた四首も「後に梅の歌に追加する四首」として追加しています。
その上、巻十七には、十年を経た天平十二年十二月に、大伴家持が、父旅人が催した梅の宴を思い出して、新たに六首(3901~3906番歌)を加えています。
「太宰の時の梅花に追和せし新歌六首」
梅は、当時としては、よほど印象の強い植物であったに違いありません。
さらに、大伴坂上郎女の詠んだ歌(巻八・1656番歌)も好きな一首です。
「酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち 飲みての後は
散りぬともよし」(書き出し文)
「盃に梅の花を浮かべて、親しい仲間同士で飲み合ったあとならば、梅は散ってしまってもかまわない」(訳文)
山上憶良が宴席で詠んだ歌(巻五・818番歌)も好きですね。
「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」(書き出し文)
「春が来れば一番に咲く庭の梅の花を、ひとり眺めながら春の長い一日をすごすのだろうか」(訳文)
現代では、日本中に梅の花は咲いていて、本州では、そろそろ梅の花の時期ですね。
梅の名勝地の筆頭は、なんといっても京都の北野天満宮。
また、「日本一の梅の里」を誇っているのは、和歌山県日高郡の「南部梅林」。
村全体に梅の香気が漂う雄大な梅林のようです。
香雲丘から見下ろす白梅は「一目百万本、香り十里」といわれ、さながら白い絨毯を敷き詰めたような美しさだそうです。
万葉人ならずも見てみたいですね。
南部梅林の風景と香から、万葉人はどのような歌を残すだろう。
引用した本です。
今朝は予報通りの積雪5㎝ほどでした。
でも、寒さはこの冬一番で風が強かったです。
朝食前に雪かきをしました。
今日の日中、雪の予報です。
夕方までにどのくらい積もるだろう。
お昼過ぎにもう一回雪かきかな。
では、今日はこの辺で。