469.巻五・880~882:敢えて私懐(しくわい)を布(の)ぶる歌三首
敢えて:思い切って個人的な気持ちを述べる歌。「私懐」は、ここでは都への召還にたいする懇願をいう。
880番歌
訳文
「遠い田舎に五年も住みつづけて、私は都の風俗をすっかり忘れてしまった」
書き下し文
「天離(あまざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ) 都のてぶり 忘らえにけり」
「五年住まひつつ」によれば、憶良は神亀(じんき)二、三年(725、726)頃に筑前国守になったことになる。
天離る:「鄙」の枕詞。天の彼方遠くに離れる意。
てぶり:「手振り」で、立ち居振舞い。
881番歌
訳文
「私は、ここ筑紫でこんなにも溜息ばかりついていなければならないのであろうか。来ては去って行く年の、いつを限りとも知らずに」
書き下し文
「かくのみや 息づき居(を)らむ あらたまの 来経行(きへゆ)く年の 限り知らずて」
右二首(880、881番歌)、独詠的な形をとって次歌の根拠を示した歌。
かくのみや:五年も田舎にいる前歌の嘆きを承けた句。
あらたまの:「年」の枕詞。
882番歌
訳文
「あなた様のお心入れをお授け下さって、春になったら、奈良の都に召し上げて下さいませ」
書き下し文
「我(あ)が主(ぬし)の 御魂賜(みたまたま)ひて 春さらば 奈良の都に 召上(めさ)げたまはね」
謹上:相手は旅人。旅人から廻って来た871~873番歌の作に874~882番歌の歌群を添えて謹上したものらしい。
前二首と違って対詠的。三首の中の眼目である。
白毫寺の画像の続きです。
では、今日はこの辺で。