153.巻二・103、104:天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首と藤原夫人の和へ奉る歌一首
下の本の「飛鳥の大雪」を引用します。
「・・・飛鳥に雪が降った。・・・」
103番歌
訳文
「我が里に大雪が降り積もった。(お前のいる)大原の古ぼけた里に降るのはまだ先のことだろうよ」
書き出し文
「我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」
104番歌
訳文
「私の岡の神様に命じて降らせた雪、その雪の砕けたのが、(あなたのあたりに)散ったのでしょうね」
書き出し文
「我が岡の 靇(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ」
「藤原夫人は、藤原鎌足の娘「五百重娘(いほへのをとめ)」。」
黒岩重吾氏の小説「天翔(あまかけ)る白日 小説大津皇子」に「・・・だが、大津も驚いたたのだが、父(天武天皇)は翌翌年(新田部皇女を妃に)、藤原鎌足の娘を妃にしたのである。当時、五百重娘は十七歳、父は四十七歳になっていた。孫のような女人を妃にしたのだが、五百重娘も翌々年皇子を産んだ。新田部皇子である。・・・」と書いてあります。
万葉の旅の本に戻ります。
「・・・この大雪の時、・・・彼女は大原の里に下がっていた。そこに天武から歌が届けられた。・・・明日香正宮を「我が里」と呼び、藤原夫人の居所を「古りにし里」と定義した。・・・彼女を明日香正宮に呼び寄せ、共にこの雪を眺めようとする誘いの歌である。・・・
ほどなく藤原夫人から歌が帰って来た。・・・正宮と大原(現在の明日香村小原)は直線距離にしてわずか数百メートルしか離れていない。二人のいる場所に降雪量の違いなどないことは、最初に歌を送った天武天皇も先刻承知のことである。この贈答、「萬葉集」を代表する相聞歌といってよい。これほど高度な言語遊戯が現代の我々に可能だろうか。豊饒な万葉の世界を垣間見ることができる。・・・」引用を終わります。
甘樫丘から飛鳥座神社方向を撮る(2010年3月3日)。
なお、天武天皇に関係する小説に下のような本があります。
吉川英治文学賞受賞作↓
いま、黒岩重吾氏の「天翔る白日」を再読中です。
万葉秀歌が詠まれた背景を知ることができます。
では、この辺で。