179.巻二・155:山科の御陵(みはか)より退(まか)り散(あら)くる時に額田王が作る歌一首
115番歌
訳文
「わが大君の、恐れ多い御陵を営みまつる山科の鏡の山に、夜は夜通し、昼は日はねもす、声をあげて哭きつづけているが、このまま、大宮人は散り散りに別れて行かなければならないのであろうか」
書き出し文
「やすみしし 我ご大君の 畏(かしこき)きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ」
殯宮儀礼最後の場面で、大宮人全体の心情を汲みながら名残を惜しんだ歌。
鏡の山:山科御陵の北の山という。
夜はも・・・:古い殯宮儀礼として、棺のまわりを身を傷めつけながら匍匐し、八日八夜泣きつづける習俗があった。この儀礼などについて大化年間に禁令が出たが、以下六句はこの殯宮儀礼を投影していよう。と下の本に。
夜はも・・・:以下の句は 挽歌の慣用句とのこと。天智陵は翌年の壬申の乱で造営が遅れたことから、仮の埋葬である。
下の本も引用しました。
今朝は風が強く雨です。
台風18号の進路の予報円の中心は小樽上空を通り、稚内へと進むようです。
では、今日はこの辺で。