84.万葉集に詠まれている花(19) 堅香子・かたかご
庭と裏山の境に咲く堅香子の花を観て、裏山で最初に咲く東面の花が気になり、デジカメ片手に出かけました。
1)裏山入り口近くで
2)裏山東面
堅香子の花はこのブログの2012年5月13日に「堅香子の花」として一度記載していますが、表題としては初めてです。
御存じのように集中ただ一首しかありません。
大伴家持の歌(巻19・4143)です。
「もののふの 八十(やそ)をとめらが くみ乱(まが)ふ
寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」
北面ではまだ残雪もあり、これから咲きだす花もあります。
3)裏山北面
犬養 孝著の「わたしの萬葉百首」下巻の「93かたかごの花」によりますと
「大伴家持は西暦746年から751年までの五年間、越中国守となっていました。来年都に帰れるという750年の三月一日、二日と、ずらっと素晴らしい、美のピークに昇ったようなすばらしい歌を作っています。その一つで三月二日の歌です。・・・」
「・・・その大勢いるをとめ達が、「くみ乱ふ」水を汲むのは女性の仕事、ですから田舎のをとめ達が、春になって嬉々として今水汲みにきている。国分寺の井戸でしょうか、よくわかりませんが寺井、その寺井のほとりのところに堅香子の花がなんと可憐に咲いているだろうか。その歌なんです。
今のは、ただ堅香子の花を詠んだだけでなくて、なんともいえない初々しいたくさんのをとめ達が出たり入ったりして、初々しいをとめ達の姿。しかも雪国の冬の長いところで春を迎えた、その喜びに満ちて嬉々とした姿。それをそのまま寺井にのっけてあるのでしょう。それを背負って堅香子の花がある。」
「寺井の上の堅香子の花」について、氏は「家持の歌の中で、家持ばかりじゃないな、万葉集全体の中で、の、の、ので名詞で止めるのは、これ一つなんですよ。それはふざけた歌では、滑稽歌では、もう一つあるけれど。まともな歌ではこれだけ。これはやはり家持が歌の修業を成して、ここまで熟したんだな。「寺井の上の、堅香子の花」パチッと止めているでしょう。見事ですね。
僕は越中に学生諸君と、堅香子がどこにないかと思って、富山県高岡市伏木町、勝興寺という真宗のお寺のところが国庁の跡、その河岸段丘を探し回ったことがある。発見しました。それは伏木町一の宮というところ。そのあるお家のお庭に、いっぱい咲いている。うわあ、すばらしいなと思った。非常にきれいでしたが、そのすぐ近くに泉の跡があるんですよ。
なにしろ今から百年も前には、下からくる水汲みの人がたくさんくるんで、ところてん屋も出た。今その跡を残してありますがね。僕はそこが寺井じゃないかと思う。だってそこから、僕が堅香子の花を発見したお家は百メートルとないんですね。同じ丘陵、同じ崖のところです。うわあすばらしいなと思いました。
そしてこの歌がどうでしょう。これまた艶麗な歌でしょう。家持の生涯の中で、この前お話した「春の苑 くれなゐにほふ」の歌とこの歌のようなのは、またとつくれない長閑な歌ですね。艶麗そのものの歌。可憐そのものの歌。こんな歌は、家持の生涯にとって二度とできません。後になればなるほど苦しみの多かった家持としては、まさに記念碑的な存在の歌だと思います。ではうたいましょう。」
「もののふの 八十(やそ)をとめらが くみ乱(まが)ふ
寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」
冬の長い小樽では、やはり 堅香子の花咲く春には、花を観ますと「をとめ」ならずとも嬉々としてデジカメ片手に花を撮っています。今年の花がきれいに撮れただろうかと思いながら。
好きな歌なものですから、長い引用になりました。
では、もう一度うたいましょう。
追記(2014年5月4日):菫の万葉植物名は「須美礼」です。