78.万葉集に詠まれている植物(2)ささ:佐左・小竹
今日2013年12月18日、青空に誘われて裏山に笹を撮りに出かけました。
ささは、集中五首(相聞歌として)詠まれています。
巻2・133(柿本人麻呂)、巻10・2336(詠み人知らず)、巻10・2337(詠み人知らず)、巻14・3382(詠み人知らず)、巻20・4431(防人とだけ知る)の五首です。
手持ちの本で道内のササについては、朝日新聞社編(1968)北方植物園 朝日新聞社が詳しいです。
(古い本ですね)
この本によりますと、道内のササは1)スズダケ類、2)クマイザサ類、3)チシマザサ類そして4)ミヤコザサ類の4群にわけられるという。
ササの区別点は難解で、専の学者も手こずっているらしいと記載されていました。
(総称の笹でいいのでは)
道内には熊笹とよばれるササが分布していますが、植物学上にはない名であるとのこと。
正しくはクマイザサのことで、九枚笹、つまり葉が九枚ある、ということで、熊には縁のない名だそうです。
植物学上でのホンモノのクマザサは、隈笹と書くのだそうです。
上の本によりますと、隈笹は日本の特産で、多年生常緑ササ類です。
主に近畿地方に多く自生し、観賞用として、日本中の庭園や公園などで多く植栽されており、お馴染みのササといえそうですと記載されています。
なお、ミヤコザサは、北海道南部から本州、四国、九州の積雪の少ない太平洋側に広く自生しているという。
京都の比叡山で発見され、京都にちなんで「ミヤコザサ(都笹)」とつけられたのが名前の由来のようです。
本によってはイネ科から独立させて、タケ科として分類されていることもあるようです。
本の目次では、冬の項に記載されています。
類とか科とかよくわからない点も多々あるのですが、歌に移ります。
1)巻3・133
「小竹の葉は み山もさやに 乱(さや)げども われは妹思ふ 別れ来ぬれば」
(小竹の葉は山路にみちてざわざわと風に鳴っているが、私の心は一途に妻を思う。今や別れて来たので)
2)巻10・2336
「はなはだも 夜更けてな行き 道の辺の 斎(ゆ)小竹(ささ)の上に 霜の降る夜を」
(ひどく夜が更けてからはお帰りになるな。道のべの小竹の上に霜が降るように寒いこの夜ですのに)
3)巻10・2337
「小竹の葉に はだれ降り覆(おほ)ひ 消(け)なばかも 忘れむと言(い)へば 益(ま)して思ほゆ」
(「小竹の葉にはまだらの雪が降りつもる、その雪のように命も消えたら、あなたを忘れましょうか」とあなたがいうので、前にもまして物思いに苦しむことよ)
4)巻14・3382
「馬来田(うまぐた)の嶺(ね)ろの小竹葉の露霜の濡れて 別(わ)きなば 汝(な)は恋ふばそも」
(馬来田の嶺の小竹葉に置く露霜に濡れて、お前の許を別れて来た後、お前は恋しがることだろう)
5)巻20・4431
「小竹が葉の ささやく霜夜に 七重かる 衣に益せる 子ろが肌はも」
(小竹の葉が風に鳴る霜夜には、七重に着る衣も及ばない、あの子(妻)の肌よ)
五首をみると二首はササの葉さやぐ音を歌い、三首はササ葉に露霜の降りている姿を写して寒夜の叙景としているようです。
ささは、万葉時代には冬の歌が多いようですね。
上の本によりますと、「ササは風に吹かれると、さわさわ、ざわざわと䈎ずれの音をたてます。この音を神楽声といい、神の言葉を人に伝える呪力を持っていると信じられてきました。」と記載しています。
(ササは神事と関係があるようで、聖なる植物とされていたのでしょうか)
また、「七夕にササに願い事書いた短冊を掛けるのも、神の依り代とする思想の名残とも」と記載しています。
裏山の笹が万葉集に詠まれているのだなと古代に想いを馳せています。
昨冬に比べ、この冬は雪が少ないのですが、裏山の笹も 来年一月には雪の下になっていることでしょう。
もうじきにカンジキなしで歩けなくなります。
なお、左のリンクからブログ「風景夢譚」と「風景の日記」も読んでいただくとうれしいです。