2018-01-01から1年間の記事一覧
沈痾自哀文(八の五)の訳文 「<志恠記(しかいき)に 「広平の前太守、北海の人徐玄方の娘が年十八で死んだ。その霊が馮馬子(ひょうまし)という若者に「限たところ、八十余歳の天寿になっている。それなのに早々と悪魔に殺されて四年を経た」と言った。…
沈痾自哀文(八の四)の訳文 「生命力が尽き果ててその天寿を全うした者でさえ、なおかつ死は悲しいものである<聖人や賢者をはじめとして一切の命あるもの、誰がこの宿命から逃れえようか>。まして、いまだ天寿の半ばに及び」もしないのに、悪魔にあたら命…
沈痾自哀文(八の三)の訳文 「私は、身はもはや俗事に深入りしているばかりか、心も俗塵になずんでいるので、禍いの潜んでいる所や祟りの隠れている所を知ろうと思い、占師の門や祈禱師の室(へや)をすべて訪れた。たとえ効果があるにしろ、またないにしろ…
沈痾自哀文(八の二)の訳文 「はじめて病気にかかってからじりじりと年月が重なった<十余年を経たことをいう>。今や年七十四。鬢(びん)も髪も白髪が混じり、筋肉も痩せ力も衰えてしまった。単に年老いたばかりか、さらにこんな病気を加える身となった。…
(八の一):長文ですの八分割しました。なお、歌ではないので、書き下し文は省略します。 沈痾自哀文:病いに沈み自ら悲しむ文。後の「俗道・・・」の漢詩文、「老身に・・・」の倭歌と三部作をなす。 訳文 「ひそかに思うに、朝夕山野で狩をして食べている…
好去好来:無事に行き無事に帰ることを祈る歌。 894番歌 訳文 「神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国は皇祖の神の御霊(みたま)の尊厳な国、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。このことは今の世の人も悉く目(ま)のあたり…
貧者と窮者の対話。貧窮に関する問答ともいう。 892番歌 訳文 「風に混じって雨の降る夜、その雨に混じって雪の降る夜は、寒くて仕方がないので、堅塩をかじったり糟汁をすすったりして、しきりに咳きこみ鼻をぐずぐず鳴らし、ろくすっぽありもしないひげを…
886~891番歌は、山上憶良が熊疑になりきって詠んだ歌です。 887番歌 訳文 「母上の顔を見ることもできないで、暗い暗い心のまま、私はいったいどちらを向いてお別れして行くというのか」 書き下し文 「たらちしの 母が目見ずて おほほしく いづち向きてか …
886番歌 訳文 「都に上るとていとしい母の手を離れ、見たこともない他国の奥へ奥へと、山また山を越えて通り過ぎ、いつになったら都に行けるかと思いながら、よるとさわるとそのことを話題にしたが、我が身が大儀で仕方がないので、道の曲がり角に、草を手折…
序の訳文 「大伴君熊疑は、肥後の国益城(ましき)の郡(こおり)の人である。年十八歳、天平三年の六月十七日に、相撲の部領使(ことりづかい)の国司官位姓名某(なにがし)の従者となり、奈良の都に向かった。しかし天運に恵まれず、苦しい旅道の半ばで病…
大伴君熊疑:次回記載予定の憶良作の序に説明があります。 大典:大宰府の文書を掌る官。826番歌参照。 麻田陽春:569~570番にも歌があります。 884番歌 訳文 「故郷を遠く離れた長い道中なのに、こんな所で、心も暗く今日この命を終えなければならないのか…
三島王:舎人皇子の子、淳仁天皇の弟。 追和:帰京した旅人から871~875番歌を披露されて和したものか。この歌で旅人中心的な姿勢を示す巻五前半が終わり、次歌から憶良中心的な後半となる。 883番歌 訳文 「噂に聞いて目にはまだ見たことがない。佐用姫が領…
敢えて:思い切って個人的な気持ちを述べる歌。「私懐」は、ここでは都への召還にたいする懇願をいう。 880番歌 訳文 「遠い田舎に五年も住みつづけて、私は都の風俗をすっかり忘れてしまった」 書き下し文 「天離(あまざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ…
書殿:図書や文書を置く座敷、ここは筑前国守憶良公館の座敷か 餞酒:ここは旅人送別の宴 倭歌:漢詩に対する日本の歌の意。天平初年には「倭」や「日本」を「大和」「和」と記した例はまだ見当たらない。 876番歌 訳文 「空を飛ぶ鳥ででもありたいものだ。…
最最後人:廻り持ちで詠まれた871~873番歌が最最後人に廻され、そこで閉じられる。「最最後人」は憶良と思われ、以下882番歌まで憶良の作と認められる。この部分に限って、題詞に歌の数が明記されている。 874番歌 訳文 「海原の沖を遠ざかって行く船に、戻…
最後人:旅人と見る説もあるが、前歌の「後人」とは別の某別人で、やはり大宰府官人であろう。 873番歌 訳文 「万代の後までも語りつづけよとて、この山の嶺で領巾(ひれ)を振ったものらしい。松浦佐用姫は」 書き下し文 「万代(よろづよ)に 語り継げとし…
後人:旅人をさすという説もあるが、別人であろう。大宰府の官人か。 872番歌 訳文 「後の世の人も山の名として言いつづけよというつもりで、佐用姫はこの山の上で領巾を振ったのであろうか」 書き下し文 「山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上(へ…
前文の訳文 「大伴佐堤比古郎子は、特に朝廷の命を受けて、御国の守り、任那に使いすることになった。船装いをして出発し、次第次第に青波の上を進んで行った。 ここに、妾(つま)の松浦佐用姫は、今忽ちにして別れ、いつまた逢えるかも知れぬことを深く嘆…
訳文 「憶良が、誠惶頓首(せいくわとんしゅ) 謹んで申し上げます。 憶良が聞くところでは、「漢土では、昔から王侯をはじめ郡県の長官たるものは、ともに法典の定めに従って管内を巡行し、その風俗を観察する」ということであります。 それにつけても、こ…
君を:和だけでは思いやまずに歌った一連の纏め。 866番歌 訳文 「遠く遥かに思いやられます。白雲が幾重にも隔てている筑紫の国は」 書き下し文 「はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重(ちへ)に隔てる 筑紫の国は」 867番歌 訳文 「あなたの旅は随分日数…
865番歌 訳文 「あなたをお待ちしている松浦の浦の娘子たちは、常世の国の海人の娘なのでしょうか」 書き下し文 「君を待つ 松浦の浦の 娘子らは 常世の国の 海人娘子かも」 旅人から送られた853~863番歌に和したもの。 唐招提寺の画像の続きです。 では、…
864番歌 訳文 「宴に加わることもできないでずっとお慕い申してなどおらずに、いっそのこと、あなたのお庭の梅の花にでもなった方がましです」 書き下し文 「後れ居て 長恋せずは 御園生の 梅の花にも ならましものを」 864番歌以下四首、吉田宜作。 旅人か…
「宣(よろし)申し上げます。 忝(かたじけな)くも四月六日付けの御書簡を拝受いたしました。 謹んで文箱を開き、芳章を拝読致しました。心が晴々して郎らかなことは、泰初が日月を懐にした気持そのままであり、卑しい思いが消えてさわやかなことは、楽広…
861番歌 訳文 「松浦川の川の瀬が早いので、娘子たちは紅の裳裾をあでやかに濡らしながら、鮎を釣っていることであろうか」 書き下し文 「松浦川 川の瀬早み 紅の 裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ」 蓬客の855番歌に和した歌。 862番歌 訳文 「誰もかれもが見てい…
858番歌 訳文 「若鮎を釣る松浦の川の川なみの、そのなみというような並々の気持で思うのでしたら、私はこんなに恋い焦がれることがありましょうか」 書き下し文 「若鮎釣る 松浦の川の 川なみの 並にし思はば 我れ恋ひめやも」 857番歌の「若鮎釣る」を承け…
蓬客:蓬のような卑しいさすらい人の意。812番歌の前文「蓬身」参照。以下三首の実作者は、854番歌までの歌を旅人から披露された某大宰府官人らしい。 855番歌 訳文 「松浦川の川瀬はきらめき、鮎を釣ろうと立っておられるあなたの裳裾が美しく濡れています…
松浦川:佐賀県東松浦郡の玉島川 序の訳文 「私は、たまたま松浦の県をさすらい、ふと玉島の青く澄んだ川べりに遊んだところ、思いがけずも魚を釣る娘子たちに出逢った。 その花の顔は並ぶものがなく、光り輝く姿は比べるものもない。 しなやかな眉はあたか…
後に梅の歌に追和する四首:梅花の歌に追って和した意。作者は旅人らしい。 849番歌 訳文 「残雪に混じって咲いている梅の花よ、早々と散らないでおくれ。たとえ雪は消えてしまっても」 書き下し文 「残りたる 雪に交じれる 梅の花 早くな散りそ 雪は消(け…
員外:梅の花三十二首の員数外の人の意。三十二首の末尾843~845などに刺戟されての旅人の作らしい。 847番歌 訳文 「私の男盛りはすっかり過ぎてしまった。飛行長生の仙薬を飲んでも、再び若返りはしまい」 書き下し文 「我が盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ …
841番歌 訳文 「鶯の鳴く声をちょうど耳にしたその折しも、梅の花がこの我らの園に咲いては散っている」 書き下し文 「うぐいすの 音聞くなへに 梅の花 我家の園に 咲きて散るみゆ」対馬目高氏老 842番歌 訳文 「この我らの庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯…