万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

318.巻三・460・461:七年乙亥に、大伴坂上郎女、尼理願(あまりぐわん)の死去を悲嘆しびて作る歌一首あわせて短歌

七年:天平七(735)年

大伴坂上郎女:379番歌参照してみてください。

souenn32.hatenablog.jp

460番歌

訳文

「遠い新羅の国から、日本は良い国との人の噂をなるほどとお聞きになって、安否を問うてよこす親族縁者とてないこの国にはるばる渡ってこられ、大君のお治めになるわが国には、都にびっしり里や家は多くあるのに、どのように思われたかのか、何のゆかりもない佐保の山辺に、泣く子が親を慕うように慕ってこられて、家まで作って年月長く住みついていらっしゃたのに、その方も、生ある者は必ず死ぬという定めを逃れることはできないので、頼りにしていた人が皆旅に出ている留守の間に、朝まだ早い佐保川を渡り、春日野をあとにしながら、山辺をさして夕闇に消え入るように隠れてしまわれた、それで何といってよいやら、どうしてよいやらわからぬままに、おろおろ往ったり来たりして、たった一人で白い喪服の袖の乾く間もなく嘆きどおしに私の流すこの涙は、あなたのおられる有馬山のあたりにまで雲となってたなびき、雨になって降ったでしょうか」

書き出し文

「栲(たく)づのの 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放(さ)くる 親族兄弟(うがらはらがら) なき国に 渡り来まして 大君の 敷きます国に うちひさす 都しみみに 里家は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして 敷栲の 家をも造り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬといふことに 免れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝川渡り 夕闇と 隠りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに た廻(もとほ)り ただひとりして 白栲の 衣袖干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有馬山 雲居たなびき 雨に降りきや

死者に対する哀悼と同時に、死去に関する報告を兼ねた内容の挽歌。

葬儀は早朝行われる習いであった。朝は夕方とともに霊的なものに触れ得る神秘な時間帯と意識されていた。

有馬山:神戸市の有馬温泉付近の山

反歌4

61番歌

訳文

「引き留めることはできない人の命なので、住み慣れた家を出て、雲の中に隠れておしまいになりました」

書き出し文

「留めえぬ 命にしあれば 敷栲の 家ゆは出でて 雲隠りにき」

(左注)

右、新羅の国の尼、名は理願といふ。遠く王徳に感じて、聖朝に帰化(きぬけ)り。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、すでに数紀(数十年、一紀は十二年)を経たり。ここに、天平の七年乙亥をもちて、たちまち運病に沈み、すでに泉界の趣(おもぶ)く。ここに、大刀自石川命婦、餌薬の事によりて有馬の温泉に行きて、この喪に会はず。ただ郎女ひとり留まりて、屍柩(しきう)を葬(はぶ)り送ることすでに訖(をは)りぬ。よりてこの歌を作りて、温泉に贈り入る。

大納言大将軍大伴卿:大伴安麻呂

石川命婦石川郎女大伴安麻呂の妻。坂上郎女の母。

餌薬:治療のこと、ここは湯治。

ただ郎女・・・:坂上郎女

長歌の句を用いながら総括し、悲しみの中に静かな諦めを示そうとしている。

留めえぬ 命にしあれば:長歌の「・・・生ける者 死ぬといふことに 免れぬ ものにしあれば・・・」を承ける。

引用した本です。

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今朝はやや冷え込みましたが、積雪ゼロでした。

今日は、この辺で。