万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

522.巻六・978:山上臣憶良、沈痾の時の歌一首

沈痾:病いに沈む、意。

今回引用した本です。

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「それじゃ、もうひとつ山上憶良の歌をうたってみましょう。

「士(をのこ)やも 空しかるべき 萬代(よろずよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして」

山上憶良という人は大変苦労した人なんですよ、家柄はないけど学問が出きたものですから、大宝元年西暦七〇一年に遣唐使の書記に任命されて、大陸に渡る。帰って来てから後にはいまの鳥取県伯耆の国の守となり、そして養老五年、聖武天皇東宮の家庭教師のようなものになる。

そして、聖武天皇神亀の末年に筑前の国守となっていく。丁度大伴旅人が大宰の帥となっている同じ時期ですね。そして帰って来てから天平五年、西暦733年、74歳でなくなっている。

この歌は山上憶良が重い病気にかかった時の歌、おそらくこの天平五年の、亡くなる時の歌でしょう。山上憶良の最後の歌です。

山上憶良が重い病気にかかった、そしてこの歌の左の註にはこう書いてある。

重い病いにかかった時、藤原不比等の息子の房前、その房前の第三番目の子供の藤原八束(やつか)というのが、河辺東人というのを使いにやってお見舞いにやった。

そしてお見舞いの言葉を述べたら、憶良はそのお見舞いの言葉に対して答えた。そして、しばらくあって、涙が惻々として憶良の目に浮かんでくる。涙を拭ってこの歌をうたったというんですね。

「士やも」、僕は男といったけど、ただの男じゃない立派な男、中国でいう士大夫です。立派な男が空しくあってよかろうか、何も名前を残さないで、空しくあってよかろうか、万代にまで、語り継ぐべき名も立てもしないで、というんですね。憶良は立派に名前を立てているよ、しかし、自分が死ぬ時に俺は立派な仕事をしたといって死ぬ人があるでしょうか。

憶良はやはり自分の生涯を振り返って見て、なんと自分は何もしていないじゃないか、七十四の時に、いまはの時に、ああ、男である私が何もしない空しくてよかろうか。後世に語り継ぐような名も立てないでと、というのは憶良は僕らから言えば偉い人だ、だけでも憶良自身は自分の生涯を振り返って、結局、自分は何もしていないな、悲しみに胸があふれてしまう、したいことも出きないで俺はこの世を去っていくぞ、という深い嘆きではないでしょうか。

そのすばらしい歌です、憶良が八十首ほどこの世に残した歌の中の最後の歌です。

憶良という人はこんなに深く人生を見つめ通して、そして生き抜いたひとです。その苦悩の多い七十四歳の生涯を省みて、憶良が自分の生涯を振り返って言っている自分の所感ですね。」

引用をおわります。

この後に山桜の写真が歌と共に掲載されています。

(声に出して詠んでみました)

訳文

「男子たるものは、為すこともなしに世を過ごしてよいものか。万代までも語り継ぐに足るだけの名というものを立てもしないで」

大伴家持に追和歌4164、4165番歌がある。

小樽の積雪は、ゼロとなりましたが、庭にはまだ少し積もっています。

家の前の道の半分以上の面積で雪が消えると、積雪ゼロと勝手に判定しています。

今朝は、夜半からの雨と暖かさで、積雪ゼロとなりました。

今年の根雪はいつになるだろう。

では、今日はこの辺で。