万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

473.巻五・886~891:熊疑のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首併せて序 筑前国司山上憶良(三の二:886番歌)

886番歌

訳文

「都に上るとていとしい母の手を離れ、見たこともない他国の奥へ奥へと、山また山を越えて通り過ぎ、いつになったら都に行けるかと思いながら、よるとさわるとそのことを話題にしたが、我が身が大儀で仕方がないので、道の曲がり角に、草を手折り柴を取って敷き重ね、床ででもあるかのように倒れ伏し、思いに沈みながら臥して嘆くことには、「国にいたなら父上が介抱して下さるだろうに、家にいたなら母上が介抱して下さるだろうに。人の世というものはこんなにもはかなく辛いものらしい。まるで犬ころのように道ばたに行き倒れになって、私は命を終えるというのか。」<私の生涯を終えるというのか>」

書き下し文

「うちひさす 宮へ上(のぼ)ると たらちしや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処(おくか)を 百重山 越えて過ぎ行き いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らう

ひ居(を)れど おのが身し 労(いた)はしければ 玉鉾の 道の隈(くま)みに 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥(こ)い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間(よのなか)は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ 一には「我が世過ぎなむ」といふ」

続く短歌五首とともに熊疑になりきって詠んだもの。

うちひさす:「宮」の枕詞

たらちしや:「母」の枕詞

隈み:行路病者は忌まれて村外れの道角に横たえられることが多かった。

薬師寺から春日大社への画像を貼り付けます。

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引用した本です。

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では、今日はこの辺で。