64.詠まれている動物(2)戯蝶(ぎてふ):蝶
今、庭では額紫陽花と韮の白い花が盛りです。
韮の白い花に蝶などが訪れていました。
それで撮ろうとふと想い、蒸し暑い日の午前に韮の花の前で二時間ほどかけて撮った蝶です。
警戒してかなかなか花を訪れてくれませんでした。
(胡散臭い爺が居るのだから当然警戒するよ)
蝶の名前はわかりません。
優雅に舞う蝶は花に似あいます。
きっと集中にも多く詠まれているのではとの想いで撮っていました。
撮影日:2013年8月18日
いがいにも蝶は一首も詠まれていません。
ですから「詠まれている動物(2)戯蝶」は表題としてふさわしくないのです。
大伴家持の詠んだ数十首の歌の序文に戯蝶と記載されているだけのようです。
(他の序文などにも記載されているのではないかい。手持ちの本だけ参考にしていいの。検索の方法わからないの。え、いろいろ検索したがヒットしなかった。)
「・・・暮春の風景、最も可怜(おもしろ)し、紅桃は灼灼にして戯蝶花を廻りて舞ひ、・・・」
大伴家持の歌(巻17・3967)の前に記載されています。
「山峡(やまがひ)に 咲ける桜を ただ一目 君に見せてば 何をか思はむ」
(山あいに咲いている桜、その桜を一目だけでも あなたにお見せできれば、何の心残りがありましょう)
なぜ蝶は詠まれなかったのだろう。
蝶を詠んだ歌はなかったのだろうか。
選にもれたのだろうか。
万葉人は蝶をどのように思っていたのだろう。
などなど記載しながら自問していました。
「・・・戯蝶花を廻りて舞ひ、・・・」
子供の頃の虫取りではないのですが、デジカメ片手に蝶撮りしていて、花を廻りて舞ひ、蝶が優雅に戯れているように思えました。
(この蒸し暑い日にデジカメ片手に韮の前からなかなか離れなし、仕方なく花を廻ったのに、じっとしてとか、こちらの花にとまれとか、羽を開いてとか注文が多いよ。こちらは短い夏を必死に生きているのに、戯れてなんかいないよ)
そんな風にも言っていたように思えました。
それにしても蝶を撮るのは難しい。