万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

129.巻一・45~49:軽皇子、阿騎野の野に宿らせる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

45番歌

訳文

「(やすみしし) 我が大君、(高照らす)日の神の御子軽皇子は、神であるままに、神らしくふるまわれるとて、揺るぎなく営まれている都をあとに置いて、(こもりくの)泊瀬の山は、真木が茂り立つ荒い山道なのだが、岩や行く手をさえぎる木を押し伏せて、(玉かぎる)夕方になると、雪の降る阿騎の大野に、穂すすきや小竹を押し伏せて、(草枕)旅寝をなさる、日並皇子が狩りに来られた古のことを偲んで」

書き出し文

「やすみみし 我が大君 高照らす 日の皇子 神(かむ)ながら 神さびせすと 太敷(ふとし)かす京を置きて こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 真(ま)木立つ 荒き山道(やまぢ)を 岩が根 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかどり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕(ゆふ)さり来れば み雪降る 阿騎の大野に はたすすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしへ)思ひて」

短歌

46番歌

訳文

「阿騎の野に野宿する旅人は、横になって寝ることなどできようか、古のことを思うと」

書き出し文

「阿騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眼(い)も寝らめやも 古思ふに」

47番歌

訳文

「(ま草刈る)荒れ野ではあるが(もみち葉の)亡くなった皇子の形見の地としてやって来た」

書き出し文

「ま草刈る 荒野(あらの)にはあれど もみち葉(ば)の 過ぎにし君の 形見とそ来(こ)し」

48番歌

訳文

「東方の野に曙光の立つのが見えて、振り返って見ると、月は西に傾いている」

書き出し文

「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」

49番歌

訳文

「日並皇子の皇子の尊が、馬を並べて狩にお立ちになった、その刻限はいま到来した」

書き出し文

「日並(ひなみし)の 皇子(みこ)の尊(みこと)の 馬並(な)めて み狩(かり)立たしし 時は来(き)向かふ」

引用した本です。

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阿騎の野」のは宇陀市大宇陀のあたりの山野。・・・日並(ひなみし)皇子は、天武天皇持統天皇との間に生まれた草壁皇子(六六二~六八九)のこと。・・・天武天皇崩御後、即位が期待されたが、持統三年(六八九)・・・天皇の位に即くことなく二十八歳で薨去(こうきょ)した。その草壁皇太子を日(天皇)に並ぶ皇子の意で尊ん称である。

歌は草壁の遺児軽皇子(のちの文武天皇)が阿騎野に狩に出かけらた時の人麻呂の作である。軽皇子を草壁皇太子の後継たらしむべく、亡父草壁曾遊の地において狩をおこなわせたのである。それゆえ長歌は冒頭から「やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと」と最大級の賛辞で軽皇子の遊猟を表現する。「高照らす 日の皇子」という表現は、天武天皇に二例(巻二・162、167)、持統天皇に二例(巻一・50、51)ほかに一例(持統と推定される)(巻十三・3234)を見るだけであり、「神ながら 神さびせすと」も、持統天皇の吉野での国見(巻一・38)に用いられただけの表現である。

その進行を「禁樹(さへき)押しなべ」と歌い、その旅宿りを「小竹を押しなべ」と表現するのは、雄略天皇の国土支配者宣言の歌(巻一・1)の「おしなべて 我こそ居あ(お)れ」を踏まえ、軽皇子を支配者たるべく意識させる柿本人麻呂の表現である。舒明天皇歌(巻一・2)に知られるように、国見も遊猟も支配者る天皇が行うべき儀礼であった。

短歌四首は漢詩絶句の起承転結の手法で構成され、最後は、草壁がかって狩を催した刻限が今まさに到来したことを歌う。草壁皇子が馬を並べた狩に出立する時限(古)と、軽皇子が出立刻限(今)が重なることにより、軽皇子皇位を継承すべき存在となったのである。この歌群中48(番)歌が最も人口に膾炙(かいしゃ)したのは、「東野炎立所見而反見為者月西渡」とある原文を「ひむがしの のにかぎろひのたつみえて かへりみすればつきかたぶきぬ」と賀茂真淵が訓(よ)み解いたからである。月に象徴される草壁皇子から、日に象徴される軽皇子へと交代する皇位継承のドラマが、壮大な自然現象によって歌われているとこに魅力がある(ただし「かぎろひ」には「燃ゆ」というのが普通で、然るべき訓がないので、とりあえず真淵の訓のままにしているだけである。)

引用を終わります。

このブログの4に、「万葉集の面白さ(一)かぎろひ」を記載しました。是非読んでいただきたいです。右の最新記事からたずねてみてください。

なお、ブログの4では下記の本も参考にしました。

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48番歌については、犬養氏の本も読みました。

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最後に、軽皇子はもう一人おります。孝徳天皇です。

下記の古代小説集の最初の小説「風鐸ー軽皇子の立場からー」です。

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では、今日はこの辺で。

追記:2017年7月26日

48番歌は、佐佐木隆氏の下の本が詳しいです。第四章原文から歌への第三節語の呼応と訓み添えです。頁254から290です。

・・・こうして、48番歌の歌の全体は、訓み添えによって、

「東(ひむがしの)の 野らに煙(けぶり)は 立つ見えて 返り見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」

(東の方の野にかげろうの立つのが見えて、振り返って見ると、月は(西に)傾いている)

というかたちで復元するのが最も適切だという結論に、ようやくたどり着いたことになる。・・・・

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