486.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)
俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)の訳文
「ただし、この世には恒久不変の本質をもつものはない、だから丘が谷になったりする。また人生には一定不変の期限ははない。だから長生の者があったり夭折の者があったりする。目ばたきをする間にも百年は尽きてしまうし、臂(ひじ)を申(の)ばすも千代は消え果ててしまう。朝には席上の主として振舞っても、夕にはもう黄泉の客となる。白馬がいかに早く走ろうとも、黄泉からの迎えにどうして及ぼう。墓上の青松は空しく信義の剣を懸け、野中の白楊(はくよう)は徒らに悲風にさらされている。こうして、俗世にはもともと死を逃れて隠れ住む室(へや)はなく、原野にはただ永久に続く夜の台(うてな)だけがあるということを思い知るのである」
引用した本です。
日光
では、今日はこの辺で。