463.巻五・868~870:天平二年七月十一日 筑前国司山上憶良 謹上
訳文
「憶良が、誠惶頓首(せいくわとんしゅ) 謹んで申し上げます。
憶良が聞くところでは、「漢土では、昔から王侯をはじめ郡県の長官たるものは、ともに法典の定めに従って管内を巡行し、その風俗を観察する」ということであります。
それにつけても、この私、心中に思うことはあれこれとございますが、それを口に出して申すことは至難のことであります。
それで、謹んで三首の拙い歌を詠み、これによって心中のわだかまりを払い除けたいと思います。
その歌は次のとおりでございます」
868番歌
訳文
「松浦の県(あがた)の佐用姫(さよひめ)が領巾(ひれ)を振って夫大伴佐堤比古(さてひこ)の後を追い慕ったという、その山の名だけを私は聞いていなければならないか」
書き下し文
「松浦県 佐用姫の子が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつ居(を)らむ」
869番歌
訳文
「足姫命(たらしひめみこと)が魚を釣ろうとされてお立ちになった石を、いったい誰が見たというのか」
書き下し文
「足姫神の命の 魚釣らすと み立たしせりし 石を誰れ見き」
870番歌
訳文
「行くのに百日もかかるわけでもない松浦への道なのだ。今日行って明日は帰って来られるのに、何のさしさわりがあるというのか」
書き下し文
「百日しも 行かぬ松浦道 今日行きて 明日は来なむを 何か障れる」
参加できなかった自己を詰問する形で鬱情を払った。
憶良の資料ではこの歌群は863番歌に直結していた。
東大寺の画像の続きです。
では、今日はこの辺で。