359.巻四・559~562:大宰大監大伴宿禰百代が恋の歌四首
559番歌
訳文
「今まで平穏無事に生きてきたのに、年よりだてらに、私はこんな苦しい恋を経験するはめになってしまったよ」
書き出し文
「事もなく 生き来しものを 老いなみに かかる恋にも 我れは逢へるかも」
以下四首は、「老人(おいびと)の恋」を主題とした遊び歌。この歌は、その一連の歌の総括的なものとして最初に置かれた。実際には当時作者はそれほど老年であったとは思われない。
老いなみ:老人の仲間として数えられる年齢。
560番歌
訳文
「恋に死(じに)に死んでしまったらなんの意味がありましょう。生きている今の日のためにこそあなたの顔を見たく思うのです」
書き出し文
「恋ひ死なむ 後は何せむ 生ける日の ためこそ妹を 見まく欲りすれ」
類歌2592番歌を意識的に改作してここに置いたか。
561番歌
訳文
「あなたのことを思いもしないのに思うというならば、うそいつわりに厳しい大野の御笠の森の神もお見通しで、私は祟りを受けねばなりますまい」
書き出し文
「思はぬを 思ふと言はば 大野なる 御笠の杜の 神し知らさむ」
類歌3100番歌の神社名を大宰府近辺の神にかえて利用したものか。オの頭韻を踏む。
大野なる 御笠の杜:福岡県大野城市。南福岡駅の東北にその跡と伝える小さな森がある。
562番歌
訳文
「手を休める暇もなく、他人の眉根を無駄に掻かせておきながら、逢おうともしないあなたなのですね」
書き出し文
「暇なく 人の眉根を いたづらに 掻かしめつつも 逢はぬ妹かも」
類歌2903番歌。眉のつけ根がかゆくなるのは思う人に逢う前兆とする俗信があった。560番歌以下は古歌を利用しているが、これも恋の遊び。
人:他人。相手から見た他人で、実際は自分のこと。
560番歌に対する坂上郎女の歌が、次回記載予定の二首(563、564番歌)です。
引用した本です。
家の周りの雪は消えましたが、今朝は肌寒く、ストーブを少し焚きました。
では、今日はこの辺で。