万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

125.巻一・36、37、38、39:吉野宮に幸せる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

 

36番歌(長歌

「やすみしし 吾(わ)が大君の 聞こし食(を)す 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心を 吉野の国の 花散(はなぢ)らふ 秋津の野辺に 宮柱(みやばしら) 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並(な)めて 朝川渡り 船競(ふなぎほ)ひ 夕川(ゆうかわ)渡る この川の 絶(た)ゆることなく この山の いや高知らす みなそそく 滝のみやこは 見れど飽かぬかも」

37番歌 反歌

「見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む」

38番歌(長歌

「やすみしし 吾が大君 神(かむ)ながら 神さびせすと 吉野川 激(たぎ)つ河内(かふち)に 高殿を高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 やまつみの 奉る御調(みつき)と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり 行き沿(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網刺(さでさ)し渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも」

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永井氏は、38番歌を以下のように紹介しています。

「・・・吉野の奔流に臨んだその離宮をたたえたものであろうか。壬申の乱勝利、古代王朝の安定期を記念する幾つかの歌が巻一にはある。そしてここに歌われる吉野は、天皇の権威そのまま、威厳にみちた吉野である。・・・」

39番歌 反歌

「山川も 依りて仕ふる 神(かむ)ながら 激つ河内(かふち)に 船出(ふなで)せすかも」

<歌意>

36番歌

(わが大君がお治めになる天下に国はたくさんあるけれども、山も川も清い河畔として 吉野の国の秋津の野辺に宮柱を太く御殿をお建てになったので、大宮人たちは船を並べて朝の川を渡り、船を漕ぎ競って夕べの川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ高くお治めになる滝の離宮はいくらみても見飽きないことよ)

37番歌

(見ても飽きることない吉野の川の常滑のように絶えることなくまたたちかえって見よう)

38番歌

(わが大君が神としての本性のままに神らしくふるまわれるといって、吉野の川の急流の谷あいに高殿を高く構えられて、登り立って国見をなさると、幾重にも重なる青垣なす山は、山の神の捧げる貢ぎ物として、春は花を頭に飾り、秋になると黄葉を飾る。御殿に沿って流れる川の神も、御食事に奉仕するといって上の瀬に鵜川狩りを催し、下の瀬で小網を張り渡す。山の神川の神も心から従い仕える神の御代であるよ)

 39番歌

(山川の神も心から従い仕える神としての本性のままに大君は急流のなかに船出なさることだ)

吉野讃歌は長反歌各一首の二つの歌群から成る。第一歌群は、大宮人の朝夕の船遊びをいい、君臣和楽というべき、理想的な君臣関係を実現していることを歌う。それが現実の世界の秩序を述べているのに対して、第二群は、現実をこえた神として大君を歌う。

・・・略・・・

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人麻呂を記載した本は多く、読んだのは下の本です。表紙を貼り付けます。

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上の本から一部引用。・・・持統天皇の吉野行幸時に柿本人麻呂が作った長反歌二組の讃歌である。この歌は持統四年(690)一月に即位し、その翌月に催した吉野行幸時の作と推定される。・・・

歌の説明は、省略します。札幌での疲れがあるかな。そろそろ六時なので、この辺で。上の本がおすすめです。