148.巻二・91、92:天皇、鏡王女に賜ふ御歌一首と鏡王女、和へ奉る御歌一首
ブログの記載にあたり、犬養 孝氏の「わたしの萬葉百首 上巻」の「18樹の下がくり」を一読し、杉本苑子氏の「万葉の女性歌人たち」の第2章「鏡王女」を引用しました。われこそ益(ま)さめ
第2章の「中大兄皇子との恋」の第2項を引用します。
なお、第1項は「何から何まで対照的な姉妹」です。
「妹の額田王にくらべると知名度も低く、万事地味で控えめな印象を受ける鏡王女ですが、彼女を取り巻く男性は大物ばかりです。彼女の最初の恋の相手は、何と中大兄皇子でした。どのようにして宮廷に入ったのかわかりませんが、額田王と同様であったと考えればわかりやすいでしょう。
そして、恋におちた二人が交わした次の二首は、万葉集に数えきれないほど収められている相聞歌のうち、男女の歌が一対になるという本来の相聞歌としては、全巻中で最初の歌です。
91番歌:中大兄皇子
訳文
「あの、大和と河内の国境にそびえる大島山のてっぺんに家があったら、あなたの家をいつもいつも、見ていることができるのになあ」
書き出し文
「妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺(ね)に 家もあらましを」
中大兄皇子は、大化改新のクーデター(645年6月)のあとに即位した孝徳天皇(皇極先皇の弟で、中大兄皇子の叔父)のもとで皇太子となり、同年12月の難波遷都に伴い、653年(白雉4)まで難波長柄豊碕宮(大阪市)にいました。およそ21歳から27歳のころです。上の歌は、その時期に中大兄皇子が、大和に住む鏡王女のことを思いやった歌と考えられます。
92番歌
訳文
「秋の山は落葉が散りつもり、その下をつたい流れてゆくささ流れの水量も増すものでございましょう。そのように皇子よ、私におそそぎくださるあなたさまの思しめしよりは、あなたをお慕いする私の感情のほうが、どうやらまさって見えますものを・・・」
書き出し文
「秋山の 樹(こ)下隠(がく)れ 逝(ゆ)く水の われこそ益(ま)さめ 御(み)思(おもひ)よりは」
鏡王女がこたえた歌。女性らしいこまやかな思いと、どこかに哀しい調べに満ちた、控え目に応える鏡王女。このころ、彼女はおそらく二十歳すぎであったでしょうが、「われこそ益さめ」というほどの情熱が「樹の下隠り逝く水」と抑制された表現になるところに、はやくもその特質があらわれています。」
引用を終わります。
記載も引用で終わります。
残暑お見舞い申し上げます。北海道の風景で涼んでください。釧路に住んでいたころですので、二十年ほど前に撮りました。
北海道別海町の野付湾の帆打たせ網漁です。北海島海老を獲っています。遠くに知床半島が見えます。風がない時が漁の時化です。漁場のアマモにやさしい漁法です。
撮影は、たぶん、まだ、氷がある場所もあった時期ですね。