138. 巻一・66~69:太上天皇、難波の宮に幸す時の歌
文武三(699)年正月、文武天皇に同行した際に詠まれたのではないか、と。
持統、文武の年月未詳の行幸時の作品を一括して、66番歌から75番歌まで載せたものと。
また、66番歌から69番歌まで、一まとまりの宴歌であるという。
それでは、66番歌から69番歌までを記載します。
66番歌
訳文
「美しい大伴の高石の浜の松の根を枕に寝ていても、やはり家の妻が慕わしく思われる」
書き出し文
「大伴の 高石(たかし)の浜の 松が根を 枕き寝(ぬ)れど 家し偲(しの)はゆ」
右の一首は置始東人(おきそめのあづまひと)。
上四句は土地の女と共寝することをにおわせた表現。高石の浜は、堺市・高石付近の海岸。枕きは、枕にする意の動詞「枕く」の連用形。文武天皇時代の宮廷歌人の作品。
67番歌
訳文
「旅先にあって、もの悲しい時に、鶴の声すら聞こえなかったら、家恋しさのあまり死んでしまうだろう」
書き出し文
「旅にして もの恋(こほ)しきに 鶴(たづ)が音(ね)も 聞こえずありせば 恋ひて死なまし」
右の一首は高安大島(たかやすのおほしま)。
鶴が音:歌では鶴を「たづ」の語で表す。難波の景物で、旅情を慰めるものとしてとらえている。
まし:事実でないこと仮想する助動詞。
作者は、伝未詳と。伝本の目録には「作主未詳歌」とある。(理解できない説明)
68番歌
訳文
「大伴の御津の浜にある忘れ貝の名のように、家の妻のことをどうして忘れたりしようか」
書き出し文
「大伴の 御津の浜にある 忘れ貝 家にある妹を 忘れて 思へや」
右の一首は身人部王(むとべのおほきみ)。
「大伴」「家」の語を用いて66番歌に対応させた歌。
忘れ貝:二枚貝の片方だけになったもの。形の類似から(巻貝の)アワビをもいう。
上三句は序。「忘れて」を起こす。
忘れて思へや 「忘れて思ふ」は、忘れるということも思い方の一つと見なした表現。「や」は反語。作者は奈良朝の風流侍従の一人。天平元年正四位上で没。
なお、忘れ貝については、ホームページ「BIVALVES」の万葉集の「貝の部屋」を訪ねてみてください。
69番歌
訳文
「旅のお方と知っていたら、この住吉の岸の埴土(はにつち)で衣を染めて差し上げるのでしたに」
書き出し文
「草枕 旅行く君と 知らませば 岸の埴生(はにふ)に にほはさましを」
右の一首は清江娘子(すみのえのをとめ)。長皇子に進(たてまつ)る。姓氏いまだ詳(つばひ)らかにあらず。
「旅」「ば・・・まし」を用いて67番歌に対応させた歌。
岸の埴生:「岸」は崖。地名化していたか。
「埴」は赤や黄の粘土。顔料に用いた。住吉の名産。 「生」はそれのある所。
にほはさましを:「にほはす」は衣を染める、の意。
作者は、住吉の遊行女婦(うかれめ)か。
長皇子は以上四首の宴の主催者。
下の本で、今日は勉強しました。忘れないように、読んだ証に記載。
では、今日はこの辺で。