穂積朝臣老:養老六(722)年、元正天皇を批判した罪で佐渡に流された。天平十二(740)年に刑を許され、同十六年大蔵大輔、天平勝宝元(749)年没。 288番歌 訳文 「私の命さえ無事であったら、ふたたび見ることもあろう。志賀の大津にうち寄せる白波を」 …
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。