万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

507.巻六・948・949:四年丁卯(ひのとう)の春の正月に、諸王・諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしむる時に作る歌一首あわせて短歌

散禁:刑罰として外出を禁じ、一所に閉じ込めること。

948番歌

訳文

「葛が一面に這い広がる春日の山は、春が来たとて、山の峡(かい)には霞がたなびき、高円では鶯が鳴いている。大勢の大宮人たちは、北へ帰る雁の来継ぐように毎日毎日、友と連れだって遊びに出かけるはずだったのに、馬を並べて行くはずの里だったのに、それほどまだかまだかと私の待ちかねていた春だったのに、心にかけて思うさえ恐れ多く、ましてや口にかけて申すのも憚り多いことなろうとあらかじめ知っていたら、千鳥の鳴くあの佐保川で、岩に生えている菅の根を抜き採り、思いの種を祓っておくのだったのに、ああ、天皇の仰せを恐れ畏んで、大宮人たちが道にも出ないで、春の野山に恋い焦がれている今日この頃である」

書き出し文

「ま葛延(は)ふ 春日の山は うち靡(な)く 春さりゆくと 山峡(やまがひ)に 霞たなびき 高円に うぐいす鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁がねの 来継ぐこのころ かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がせし春を かけまくも あやに畏く 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 岩に生ふる 菅の根採りて しのふくさ 祓へてましを 行く水に みそぎてましを 大君の 命畏(みことかしこ)み ももしきの 大宮人の 玉鉾の 道にも出でず 恋ふるこのころ」

散禁させられるのなら、春の野山への憧れ心を祓っておけばよかったと後悔する心を歌ったもの。

反歌一首

949番歌

訳文

「いつもの年なら梅や柳の見頃をすぎるのが惜しくて佐保の内で遊んだものなのに、宮廷も鳴り響くばかりに騒ぎ立てられてそれさえできないとは」

前歌と違って、散禁の処置にやや抗議する心が見える。

引用した本です。

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2016年9月27日の圓光寺です。現存最古の木活字とモミジの庭で有名とか。

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では、今日はこの辺で。