503.巻六・935~937:三年丙寅の秋の九月の十五日に、播磨の国の印南野に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌
935番歌
訳文
「名寸隅(なきすみ)の舟着場から見える淡路島の松帆の浦に、朝凪には玉藻を刈ったり、夕凪には藻塩を焼いたりしている美しい海人の娘たちいるとは聞くが、その娘たちを見に行くてだてがないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわや女のように思いしおれて、行きつ戻りつ私はただ恋い焦れているばかりだ。舟の櫓もないので」
書き出し文
「名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女の 思ひたわみて た廻(もとほ)り 我れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ」
935~937番歌の一組は、名寸隅の宴席での献上歌。ここでも金村らしく「海人娘子」への恋を歌っている。912、930番歌参照。
反歌二首
936番歌
訳文
「玉藻を刈っている海人の娘たちを見に行く舟の櫓が欲しい。いくら波は高く立っていようとも」
書き出し文
「玉藻刈る 海人娘子ども 見に行かむ 舟楫もがも 波高くとも」
高い波をものともしない述べることによって、「海人娘子」への関心の強さを表した歌。
937番歌
訳文
「こうして岸辺を行きめぐって、いくら見ていても見飽きることがあろうか。名寸隅の舟着場の浜につぎつぎとうち寄せるこの美しい白波は」
書き出し文
「行き廻り 見とも飽かめや 名寸隅の 舟瀬の浜に しきる白波」
転じて作者のいる名寸隅の浜を讃えた歌。
2018年10月26日から28日に札幌へ。
札幌駅前の紀伊國屋書店で下記の本を購入して、読み終わりました。
本の帯にひかれて購入。
目次を見ていて、万葉集についてかかわるような記載はなかったのです。
でも、目次にない小項目には「挽歌の季節」があり、「・・・・・・このように考えて来るとき、ああ挽歌とは、生き残った者たちが同じ生き残った者たちに向けてさし出す悲しみと慰めの歌だったのだ、ということに気づく。一見それは、死者たちに向けられた死者のための歌のように受けとられがちではあるけれども、じつはそうではなかったのだ。それは生き残った者たちに向かって、さらに生きよ、と語りかける励ましと慰めの歌だったのかもしれないのである。
挽歌とは、生き残った者たちにこそとどけられる、究極の愛の相聞歌だったのだと、いまあらためて思うのである。」
もう一度読んでみようと思っています。
では、今日はこの辺で。
家の周りは、落ち葉だらけです。