500.928~930:冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌
冬:神亀二年(725)の十月。
928番歌
訳文
「難波の国は葦垣に囲まれた古びた里に過ぎないと、長らく人々は心にもかけず、ゆかりもない地と見てきたが、天皇は長柄の宮に太く高い真木の柱をどっかと打ち立て、ここで天下を治められるので、天皇にお仕えする大勢の大宮人たちは味経(あじふ)の原に仮の廬を結んで、ここはさながら都そのままだ。行幸先の地ではあるけれども」
書き出し文
「おしてる 難波の国は 葦垣の 古りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 続麻(うみを)なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食(を)す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都成したり 旅にはあれども」
934番歌まで、この難波行幸の作。以下は、人麻呂の36~39番歌に倣って、931~932番歌の千年作が住吉の浜の景を讃美し、933~934番歌の赤人作が野島の海人の奉仕を通して天皇を讃美している。当時の三人の宮廷歌人が主題を分担して作歌したもの。三人の順序は身分順らしい。
おしてる:難波の枕詞
反歌二首
929番歌
訳文
「この難波の里は荒涼とした原野の中にあるが、ひとたび天皇がお出ましになると、たちまち立派な都となっている」
書き出し文
「荒野らに 里はあれども 大君の 敷きます時は 都となりぬ」
930番歌
訳文
「海人の娘らが棚なし小舟を漕ぎ出しているらしい。この浜辺の旅寝の宿に櫓の音が聞こえてくる」
書き出し文
「海人娘子 棚なし小舟 漕ぎ出(づ)らし 旅の宿りに 楫(かぢ)の音聞こゆ」
金村はここでも旅先の女性を歌っている。912番歌参照。
引用した本です。
修学院離宮:2016年9月27日
では、今日はこの辺で。