万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

496.巻六・917~919:神亀元年甲子の冬の十月の五日に、紀伊の国に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

724年の聖武天皇行幸

917番歌

訳文

「安らかに天下を支配されるわが天皇の、とこしえに変わらぬ離宮としてお仕え申し上げている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかな渚に、風が吹くたびに爽快な白波が立ち騒ぎ、潮が引くたびにそこで美しい藻を刈りつづけてきた。神代以来、そんなにも貴いところだ。沖の玉津島は」

書き出し文

「やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山」

神代以来不変の貴い情景を述べて玉津島を讃えた歌。

雑賀野で玉津島を見ながら、その雑賀野までも玉津島に向き合った場所として景の中に取り込んだところに、古い国見歌を越えた叙景歌的性格が見られる。

反歌二首

918番歌

訳文

「沖の島の荒磯に生えている玉藻、この玉藻は潮が満ちてきてだんだん隠れていったら、さぞかし恋しく思われることであろう」

書き出し文

「沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも」

長歌の「潮干れば玉藻刈りつつ」を承ける。潮干の今、満潮時の玉藻への思いを予想することによって、玉藻を讃えた歌。

919番歌

訳文

「若の浦に潮が満ちて来ると干潟がなくなるので、葦の生えている岸辺をさして鶴が鳴き渡っている」

書き出し文

「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」

前歌に対して、満潮時の若の浦の情景を、鶴に焦点をあてて讃えた歌。

引用した本

f:id:sikihuukei:20181009033720j:plain

919番歌の参考にした本:51の和歌の浦を参照

f:id:sikihuukei:20181019082022j:plain

犬養 孝氏の本を一部引用します。

「・・・反歌で引潮の現実をうたう。満潮の現実の場合と、これが満潮です。

どうでしょう。

和歌の浦に、鶴が葦の方に向かって飛んで行くというんです。

これをよく見てごらんなさい、全部の律動が満潮のリズムです。

・・・(本には和歌の浦の写真在り)・・・

・・・略・・・

美の一つの典型を歌い出したような歌です。満潮の音楽が下に伴奏として流れていて、しかも景観は感激なんか一つも言わないで、自分できれいな絵画的世界を繰り広げる、正に文芸が山部赤人的風土を生みだしたと言っていいような歌です。

・・・略・・・」

では、今日はこの辺で。