491.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の二)
898番歌
訳文
「気の紛れることはいっこうになくて、雲の彼方に隠れて鳴いて行く鳥のように、泣けて泣けて仕方がない」
書き出し文
「慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ」
長歌の末尾を承けて、やや細かく述べている。
899番歌
訳文
「なすすべもなく苦しくてたまらないので、逃げ出してどこかへ行ってしまいたいと思うけれども、騒ぎ廻るこいつらに妨げられてしまう」
書き出し文
「すべもなく 苦しくあれば 出で走り 去ななと思へど こらに障りぬ」
長歌の「月重ね・・・死には知らず」の部分を承けている。
900番歌
訳文
「物持ちの家の子供が着あまして、持ち腐れにしては捨てている、その絹や綿の着物は、ああ」
書き出し文
「富人の 家の子どもの 着る身なみ 腐し捨つらむ 絹綿らはも」
以下四首は、長歌の内容を深め肉付けする度合いが強い。
901番歌
訳文
「粗末な布の着物すら着せるに着せられなくて、このように嘆かねばならないのか。どうしてよいのか手の施しようもないままに」
書き出し文
「荒栲の 布衣をだに 着せかてに かくや
嘆かむ 為むすべをなみ」
前歌の富人の子に対し、自分の子を持ち出している。
902番歌
訳文
「水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものと願いながら、一日一日を過ごしている」
書き出し文
「水沫(みなわ)なす もろき命も 栲綱(たくづな)の 千尋にもがと 願ひ暮らしつ」
次歌とともに、長歌897の「心は燃えぬ」の進展する方向を歌って結びとしている。
903番歌
訳文
「物の数でもない俗世の身ではあるけれども、千年も生きていたいと思われてならない」
書き出し文
「しつたまき 数にもあらぬ 身にはあれど 千年にもがと 思ほゆるかも」
天平五年の六月丙申の朔(つきたち)にして三日戊犬(つちえのいぬ)に作る。
右(上)二首は、子故に「千尋」と「千年」を願うのである。
六月丙申の朔(つきたち)にして:これ以降まもなく憶良は死んだらしい。
978番歌参照(後で記載)、憶良の辞世歌となった。大伴家持に追和歌4164~4165番歌がある。
歌合神社:2016年9月
では、今日はこの辺で。