万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

490.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の一)

897番歌

訳文

「この世に生きてある限りは<仏典には人間界に住む人の寿命は百二十年だという>無事平穏でありたいのに、障碍(しょうがい)も不幸もなく過ごしたいのに、世の中の憂鬱で辛いことには、ひどく重い馬荷に上荷をどさりと重ね載せるという諺のように、老いさらばえた我が身の上に病魔まで背負わされている有様なので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で溜息ついて明かし、年久しく病みつづけたので、幾月も

愚痴ったりうめいたりして、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれども、真夏の蠅のように騒ぎ廻る子供たちを放ったらかして死ぬことはとてもできず、じっと子供を見つめていると、逆に生への熱い思いが燃え立ってくる。こうして、あれやこれやと思い悩んで、泣けて泣けて仕方がない」

書き出し文

「たまきはる うちの限りは <瞻浮州(せんぷしう)の人の寿は一百二十年なりといふ> 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間の 厭(う)けく辛く いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 注くちふがごとく ますましも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蠅(さばへ)なす 騒く子供を 打棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ」

漢文から漢詩文へと承け継いで来た惑乱する苦悩を、最後に倭歌で言い表して、全体を閉じる。新たに子が登場し、これが憶良の生への絆となる。

引用した本です。

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2016年下鴨神社近くで

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では、今日はこの辺で。