俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の三)の訳文
「先の代の聖人もとっくに死んだし、後に続いた賢人もまた留まってはいない。もし金を出して死から逃れうるならば、古人の誰しもがそのための金を用意しただろう。ただ一人生き長らえて世のなりゆきを見極めた者があったとは、かつて聞いたことがない。それ故、維摩大師は尊い体を方丈の室に横たえたし、釈迦如来は貴い姿を沙羅双樹の中に隠されたのである」
引用した本です。
2016年9月京都の旅の平等院鳳凰堂です。ブログ485の続きです。
では、今日はこの辺で。