483.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の七)
沈痾自哀文(八の七)の訳文
「改めて思うに、人は賢愚の別なく、世は古今の別なく、悉くが死を悲嘆する。歳月は先を争って流れ去り、昼も夜も休むことがないし<曾子は「過ぎ去って帰らぬものは年」と言っている。孔子の臨川の嘆きもまたこのことなのである>、老いと病いとは互いに催(うながし)合って、朝に夕に身を侵し続ける。一生の歓楽はまだ眼前に尽きもしないのに<魏の文帝の、時の賢人の死を惜しむ詞に「いまだ西苑の夜の歓楽も尽くさないのに、早くも北邙(ほくぼう)の塵となる」とある>、千載の愁苦はもう背後に押し寄せている<古詩に「人生は百にも満たない、何で千年の憂いを抱こうぞ」とある>。」
引用した本です。
では、今日はこの辺で。